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もう一つは挂甲。
革の札板を大量に革紐や鉄輪で繋ぎ、甲冑の形にした物で、短甲が歩戦を中心に発達して来た(胴回りが固定されてしまうので、場上で姿勢を変え難い)のに対して朝鮮半島の古代国家郡から同様の物が出土している事から、中国王朝(当時は魏晋南北朝時代で中国は騎馬民族の建てた国家が優勢であり、革の札板を連ねた甲冑を多数重ね着した重装騎兵が主戦力だった)から北方民族を経由し、朝鮮半島から伝播したと思われる(昔はこの甲冑の類似性を以て日本騎馬民族王朝説が説かれた事もあったが、現在ではせいぜいモノの移動に留まったのではないかとして、この説は否定されている) -
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この2つの別系統の甲冑が統合され、平安時代頃に五月人形でお馴染みの大鎧が出現したと考えられている。 -
1つは短甲。
木製漆塗りと思われる新石器時代の遺物(硬い部分が腐食して失われ、漆の膜のみ残留)が見つかっている為、その頃には日本列島で存在していたと思われる。
古墳時代以降重装化し、首鎧、肩鎧、草摺、手甲等も用いられ、中世ヨーロッパの甲冑を髣髴とさせる防御箇所の多い鎧になっていた