• 0HoPeP11月6日
    日本は戦前から戦争中、半ば手作業で工業製品を作っていた為公差が大きく、同じ設計図を元にした同じ製品同士でも別の工場で造られたもの同士は噛み合わず、第二次世界大戦時はその為南の島に送られた飛行機の多くは故障して部品が送られて来ても修理出来ず、交換可能な部品が届く前に雨曝しの飛行場の上で部品が錆び朽ちてそのまま使用不能になって行った。
    その最大の理由は「機械を作る為の機械」マザーマシンが高価な為に予算が不足しており、政府が赤字国債発行でこれらの最新機種を購入しようとしたが健全財政をモットーとする大蔵省の反対で予算を獲得出来ず、当時最大の工業分野だった軍事産業ですらこの状態から抜け出せなかった
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