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昭和ったー
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胃に粘膜貼るから、お酒飲んでもそんなに
酔わない。と噂が拡がってたので実行したら
同じだった。逆に飲みすぎて吐くし二日酔いに
なるし、踏んだり蹴ったり。
ズボンの中にインしてた。
笑い袋ていう玩具があったね!
落ち込んでる時とか、笑い袋を叩くと
ヘリウムガス吸ったみたいな、甲高い笑い声が
ワッハッハーワッハッハーと笑い、聞いてると
本当に笑ってしまってた。
夜はクネクネという番組があったな~
原田伸郎と角淳一が夜の街を練り歩き
街ゆく人との人情のふれあい。
懐かしかった…1986年の映像アーカイブ
だった。当時は毎週見てた。
水に解けるメモ、炙り出しメモ、手帳
とか入ってた。
磨き方を教育されてたんだなと、今の歯の
磨き方を見てそう思う。
男の子の間では、ひとつのステータスだった。
しかも変速ギアのハンドルが、今のクルマの
オートマレバーみたいな形してた。
*テレビをつけると、映像が出るまで10秒
ぐらいかかる。
*テレヒを消すと、ブラックホールに消える
星みたいに、光が徐々に小さくなりやがて
真っ暗になる。
*チャンネルが取れる。
*チャンネルが壊れかけると紙をチャンネル
の隙間に挟み微調査して、映るとこで止める。
*画面を拡大する四角いパネル型のレンズを
テレビに取り付けてた。(オプションだった)
*調子悪いと、叩くけば直った。
*屋根の上のアンテナがよく倒れる。
*お金がないと室内アンテナを使った。
(めっちゃ映り悪かった)
*テレビにテーブルみたいな足があって
たまに緩む。
*真空管がよく壊れる。
ワレワレワ、ウチュウジンダ、と
よく言ってたな…。
あと、喉を手で軽く叩きながらも、
同じことしてた。今はそんな子供いないよな。
があったね・・平成に入ってからもしばらく
続いてたのかな?
昭和の風物詩がどんどんなくなるね・・
レコード大賞に出てる歌手は、終わると
紅白歌合戦に急いで向かってたのを思い出した。
遅れたりする歌手も居たとか。
テレビは、レコード大賞見て、紅白歌合戦見て
ゆく年くる年を見て、除夜の鐘を聞いてから
初詣のコースだった。
よね。あまり熱くならなかったのかな?
今は、裸には直接貼らないで下さいと書いて
いるし。なんか昭和って、いろんな商品や健康
管理とか、実験段階の時代だったかもしれない。
大騒ぎだったな。今じゃ飛行機だもんな。
そのうち、宇宙修学旅行とか出来たりして。
お店は軒並み閉まるから買い出しして、
大掃除して、子供も容赦なく手伝わされた。
しめ縄飾り、餅つきの準備、国旗の準備、
門松の準備、年賀状の手伝いやら。
年明けの挨拶回りは死ぬほど嫌だった。
でも、お年玉のためなら我慢した。昼からは
凧揚げ、コマ回し、メンコ、羽子板と、まるで
絵本みたいなお正月だったな…
だった。6畳二間の狭い家に家族5人で住み
ツリーや飾り物を天井とかに貼ったり、まるで
文化祭ぐらい盛り上がっていた。
大きなケーキに、シャンパン飲んだり
ギャーギャー騒いでたな…
クリスマスに一人でいると恋人いない目線で
見られていた時代。
昭和アニメは夜中にはなかったね…
子供は早く寝るのが当たり前の時代だった。
冷コウ(アイスコーヒー)
ミーコー(オーレ)
レスカ(レモンスカッシュ)
クリソ(クリームソーダー)フロートソーダー
とも言う。
トマジュ(トマトジュース)
レティ(レモンティー)
ミティ(ミルクティー)
亡くなったて!60才て、ひとつの分岐点?
なんだろうか…