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olq4DI スレ主 01月23日

"語られなかったこと"もまた、歴史のうちである。

昔、そう遺した歌人/俳人が居た。
今の私や他の人々も、これから先の日本や世界の歴史的な──事件であれ偉業であれ──物事に関与し名を残すことなどは多分、おそらく、きっとあるまい。
(もちろん名を残せたのならば、それはそれで喜ばしい事ではあるのだけれど)

しかし"語られなかったから"といって、『無かった事にはならない』のもまた事実ではある。
語るべき関係者が絶えてしまいでもしない限り、その人がいたという事実は残るわけだ。
ここで重要になる点は、語るべき周囲の人々が口にする人というのは、必ずしも"その人の全てではない"という事である。

職場の同僚と近所のおばちゃんでは、見えている面は異なるだろうし。愛しい人と嫌いな人では同じ人物を見たとしても全く違う側面を見ている事だろう。

何人もの人が、ひとりの人間の異なる側面を持ち寄ってようやく、本人に限りなく近しい人物像が浮かぶ。

olq4DI スレ主 01月23日

だが、所詮それもまた本人そのものではない。
どこまで行ってもその人の本質/本心というのは、当の本人以外には決して知り得ないものなのだ。

……逆説的に言うならば他者の語った本人(例えるならば『私』)というのは──当人たちにその意思があろうと無かろうと──偽りでしかないのだ。

そして、どうやら"その偽りの人々の群れ"で構成されているものが社会というか世間のようなのである。
偽りの人々の群れが寄り集まって作られた世間、複数の世間が寄り集まって形作られたものが『社会』
社会の規模が一定以上に大きくなれば『国』……。
規模が大きくなればなるほど、"語られなかったこと"は増えていくが、先にも述べたように『語られなかったからといって無かった事にはならない』のである。

……その出発点は真実か否か定かではなく、人々による他者の相互評価であるにも関わらず。
それが『真実であるか』を判断する術を我々は持ち合わせていないのである。

olq4DI スレ主 01月23日

────だからこそ、私は常に与太話の締めくくりにこう言うのだ。

『嘘です』と。

作ってみター