• 「shiにたい」というのが自分の中で割とある感情で、「今日天気いいな」みたいな感じで「あーshiにたいな」と思うことが日常的にある
    それはセイ的指向による生きづらさだったり、いわゆる人より物凄くある繊細さだったりなんだけど
    こういう時に思うに留めているのは、「shiにたい」と言ったところで「そんなこと言ってどうしたいの」もしくは「そんなこと言っちゃダメ」とか口を塞がれるというか
    あるいは「どうしたの」って聞いてくれたところでセイ的指向の話をしたら「まだ運命の人に出会ってないだけ」的なことを言われたりして崖から突き落とされる気持ちになったりする
    ただでさえ繊細という言葉も揶揄に使われがちだし
    「他人から突き落とされるために私の人生はあるのか」と悩んだりしてまた「shiにたい」になる
    ずっとその繰り返しな気がする
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