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まあいいかちょっと時間が停まってるくらい、せっかくだしちょっとくらい休んでもバチは当たらないでしょ、最近疲れていたし。次々とそんな言葉を脳内で並べて、ベンチに腰を降ろす。次いで宙を仰いだ。
「……桜、綺麗だな」
ぽつりと呟く先には、夕暮れに滲むような薄紅の花弁がある。もっと上を見れば、夜空に瞬く一番星と、その傍らに小さく浮いている飛行機が見えた。
「いいなあ」
思わず言葉がこぼれる。旅行なんてついぞ行っていない。それこそ最後に行ったのは年単位で前だと思う。あまりにも仕事が忙しすぎるせいで……と考えて、ため息をついた。視線を目の前に戻せば、やはりビニール袋が宙に浮いている。
このビニール袋も本来なら、あのまま風に吹かれて飛んで行ったのだろうか。ここではない、どこか遠くに。あまりにものんびりと宙を漂っている様をいいなと思って、思わず写真を撮ったらこんなことになったわけだけど。
「……ビニール袋でさえどこにでもいけるのに、人間ときたら」 -
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ついそうぼやいて、二度目のため息をつく。だがふと、彼女はそこで思い至った。
「旅行、いけばいいんじゃね?」
何と言っても、世界は今時間が停まっているのだ。つまり好きなだけ寝ていてもいいし、好きなだけ遊んでもいいし、好きなだけどこに行ってもいい。これ以上時が進まない以上、仕事が追加されることもないのだから。
まあ流石に飛行機を使うような旅行ができるとは思っていない。でも歩いて行ける場所なら、何とかなるのではないだろうか。何かこう、昔の人も徒歩で旅してたはずだし。
「よし、そうと決まれば!」
彼女は勢いよくベンチから立ち上がった。そうして歩き出そうとして、ふと背後を振り返る。相変わらずビニール袋は、真昼の夢みたいに浮かんでいた。 -
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一瞬逡巡してから、彼女はビニール袋をそっと引っ張る。するとビニール袋は宙に浮かんだ形のまま、ふわりと彼女の元に移動した。それ以降は手を離しても、見えない糸で繋がれたように、彼女の背後にのんびりと浮かび続けていた。
ゲームのカーソルか何かみたいだな、と思いつつも、道連れができたようで悪くない。とりあえず行けるところまでいこうと、彼女は足取りも軽く歩き出した。 -
もともと人気のなかった公園で、彼女は硬直する。一体どうしてこんなことになったのだろうか。先ほどまで風にそよいでいた桜の枝も、夕闇の道路を走っていた車も、全てが動きを止めている。真っ白なビニール袋も、海を漂うクラゲよろしく宙に浮いたままだ。
まるで自分の方が、写真の世界に迷い込んでしまったかのようだった。
異世界転生を夢見ることはないが、まさか時間の停止能力に目覚めてしまったのだろうか。いやもしくはこのビニール袋が特殊なのか。そう思って彼女はビニール袋に触れてみたが、特に何も起きなかった。かさりという軽い音を立てただけで、相変わらず世界は静まり返っている。地面に伸びる遊具の影だけが、ひたすら長い。
常日頃ならパニックになっていたかもしれない。だが今日は尋常でなく疲れていた。驚きつつも「まあ人生長いんだからこんなこともあるかもしれない」と思うくらいには。