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他人と自分を比較するのって、やっぱり無理があると思うんだよね…。その人にはなれないし、自分が全力で追いかけていたとしても、相手も全力で走ってるわけだし、その差は簡単に縮まらなければ、見てきたもの、聴いてきたもの、その下地も違う。
その人の文章にはその人の良さとか持ち味があるし、それを「好き」って言ってくれている人もちゃんといる。口には出さないけど、私はむしろ、そういうことを伝えてくれる読み手をたくさん抱えているその人のことが羨ましいよ。そしてだからこそ、あんまり自己嫌悪に陥るのはさ、その好きだって言ってくれている人達の気持ちはどうなるんだろう?って思ったりもするんだ。
私は「常に過去の自分を超えてくんだよ! ライバルは過去の自分なんだよ!」みたいなメンタルで、悔しいと思ってもそれを口にはしないし、「こんちくしょー!」くらいの気持ちで机に齧りついてガリガリ書いてる人間なので、創作を続けるって、悔しさをバネにするくらいのメンタルが、意地みたいなものが必要なんだと思うんだよね…。 -
人の文を読んで劣等感自己嫌悪を抱くのはなんで私はこう書けないんだろうこの人みたいに書けたらって羨望が含まれてるからだし、裏を返せば私はできるはずこの人に追いつけるはずってライバル認定されてるからだと思います。その人に自覚があるかどうかはともかく、年数の経験値を無視して貴方を射程範囲内においてるから劣等感がでてくる。圧倒的に差を感じれば人間自分と比較しようとも思わないものですし
つまりこの告解は宣戦布告…!または負け惜しみの二択ですね。どんな世界でも上には上があるのは当たり前なので、劣等感を抱く相手がいても自己嫌悪してもなおやりたいか?は皆抱えてる命題だから…
当たり屋されてお気の毒です。その人が周り見てないで自分の研鑽に打ち込めればいいんだけど、それって周りがどうこうできるものではないからね…