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思い出ったー
思い出ったー
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そして…紐が取れて水筒飛んでった!
他の三人は気づかない様子。男の子は水筒拾って三人を追いかけたけどあの後どうなったんだろうと時々思い出す。
15年前のきょう北京に行ってた!
痩せてるー!!
今から10年前、わたしのアールって曲にハマって
うわ凄いこの曲好きだー!と思ってイメージした絵を沢山書いてた
何もタグも名前も付けずに投稿した絵に本人からリアクションがあってびっくり。
それだけならまだ何かの偶然かなで終わるんだけど
その翌年、ふとした会話で父から「くらげPって知ってる?」と言われて耳を疑った
割といい歳の父から出る単語じゃないだけに聞き返すと「うちに来るジャズバンドメンバーの息子さんがなんか最近ネットでヒットしてるんだってさ!凄いよなぁ~」
本当にびっくりした
私の家は父の趣味で作った手作りのスタジオがあり、そこで月末になるとバンド練習をしている
私も顔を合わせたことが何度かあるのでまさかあの人の息子さんが!?!?っと大歓喜。
実家に帰省するらしいからとそのタイミングでサインを頂いた。
本当に凄い偶然で、今思い出しても手が震える。
案外好きなアーティストさんって身近にいるものなんだなと思った出来事だった。
20年くらい前地元の友人と千葉から来た友人でカラオケに行く事に。週末で混んでいて少し待つ間、遠くからゴロゴロ…そしてピカッ!ドオーン!友人びっくり。でも周り皆気にせず談笑続けてる。うん、慣れてるからね。部屋入ってから千葉の子に「あんなに雷鳴ってたのに…すごいね」と言われた。県民性の違いを実感した瞬間だった。空とか風・匂いでわかるんだよね。ただ、近年は異常気象で自分の住む地域は読みづらくなっているけど。
私の父はすぐ手を上げる人だったので、私がこの子どもくらいの頃、トイレに入っただけの母を恋しがってトイレの前から動かなかったという理由で気絶するほど叩かれたことがあり、それを思い出して父に対してムカついた。
その後親子連れのパパは子どもを抱っこして外に出たが、子どもがイヤイヤハイパー海老反りをかましていたのが窓から見え、パパはわりとすぐに店に戻ってきた。
小学生のとき給食の時間は6人ずつ机をくっつけたグループで食べてたんだけどそのうち1人が「きくらげってなんで黒いんだろうクラゲなのに」みたいなことを言い出したのできくらげはキノコだよと教えてあげた。ら、私以外の5人が「なに言ってんのクラゲに決まってんじゃん笑」とバカにしてきて結局誰もキノコだと信じてくれなくて、無知✕多数派というのは事実より強くなることもあるんだ…恐ろしいな…と思った。きくらげ食べる度に思い出す。
前に住んでた所は時間帯によってちょっと臭くて日当たり悪くて寒くて水道水も不味くて最初はショックだったんだけど夏はめっちゃ涼しかったし冬の寒さは知らないうちに身体が慣れて気にならなくなったしヒステリックママの金切り声からは解放された(地味にストレスだったことに後から気づいた)。上階の子供の足音は気になったけど元気があるのは良いことだと受け止めてた。好きなジャンルの料理のお店が複数あって嬉しかったしいい感じの公園がたくさんあって良かったし何より知り合いが全然いないのが最高だった。
わりと適応力あるってのもあるんだろうけど、住めば都だなぁと思う
この時期になると草花が綺麗で程よくて毎年のぼってたんだよなぁ
引っ越した後もなんとなく落ち着かなくてたまにいってた
もう結構遠い場所にきてしまったけど、今の時期が一番きれいなんだ
あそこは開発しないでくれい
すごく綺麗だった…
去年は綺麗だったな…今年は行けてないけどどうなんだろうな…
悩みすぎて帰りが遅くなったから怒られないかなって怖さと、1個しか買えなかったかなしさと、祝ってもあんまり喜ばれなかったらどうしようって不安でいっぱいだった。
母はものすごい喜んでくれて、携帯で写真撮って待ち受けにしてくれてた。それが自分も嬉しかった。二十年くらい前の話。オチはないよ
ちょー美女と野獣というタイトルの、絶世の美女だけど粗暴な性格のケモナーが、獣から王子様に戻っちゃった恋人に魔法をかけなおして獣にするべく旅に出る話がわりと印象に残ってる。榛色という色をこれで知った
小学校1年生までしかいなかったから学校の思い出は全くないけど
新郎側が余興あんまり…って感じだったから、どうでもいい歌聞かされるくらいならウチらがその枠もらう!つって、新婦側が余興枠独占したんだよね
結局いくつ余興したかなあ
そして新婦も余興して、マジで宴会だったわ おかげでお食事いただく時間なかったけどね
結婚遅かったけど、こういうことしてくれる友だちと出会えた人生で良かったなって思った
卒業してからもしばらくは辛い記憶がフラッシュバックしてたけど、就職して、家族を持って、子供を育てていたら、生活をうまく回すだけで死の物狂いで思い出す暇もなくなって、いつの間にかフラッシュバックが起こらなくなった
いじめられてた時はもう人生終わりだと思ってた
たまたま幸運に恵まれなんとかなった
学習したので、そういう状況に陥る前に集団から離れるのが上手くなった
でも、あんな風にいじめられたら、もう二度と立ち上がれなくなる人も多いだろうと思ったので、これからはいじめられて辛い思いをしている人を支える側になりたいなと思った