• 「ラーメン屋はもうやめる! 明日からはチャイニーズ・レストランだ!」
    親父が宣言したのはおれが中三の夏だった。おれは部活帰りでジャージを着ていた。少し早い晩飯を食っていた客が三人くらいいた。三人が三人とも味噌ワンタン麺を食べていた。
    翌日、親父は手書きの看板を店頭に掲げた。「チャイニーズ・レストラン・ザ・ペキン」。
    おれのあだ名がペキンになるのはあっという間だった。ただし、親父の店は看板以外ラーメン屋のままだった。「新メニューは作らないの?」と母もたずねた。親父は無言だった。
    その後も相変わらずの客が来て、相変わらず味噌ワンタン麺を注文しつづけた。おれはオヤジの跡を継がずサラリーマンになった。
    古い友に会えばペキンと呼ばれるが、みんな由来なんて覚えていなかった。
    親父もおれも北京に行ったことはない。