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そんでその役割を演じることを強要された結果がもたらす、色々な生きづらさは長らく深刻な雰囲気で語ってはいけないものだった気がする
本当はすごくその生きづらさが辛いのに、語る時は自分自身でその生きづらさを茶化して冗談のようにしてしまわないと許されないような感じかな
それこそsei行為をしたくないことについて悩んでるのに、未経験であることをからかわれたら笑って返さないと空気読めない扱いされるとか
まあでもようやく日本でもsei的同意について語られるようになってきたり、sei犯罪について声を上げられるようになってきたから悪いことばかりじゃないんだろうけど……まだまだ不十分だよなあ -
例えば男らしさは「sei的な物に興味があることが健全」とされてたり、男らしさという言葉が持つ「何かを力で支配する=強さ」の面はsei行為の持つ支配の面と調和しやすいところがある
女らしさ、という言葉は「男の言うことには黙って従え、そして尽くせ」という感覚が根底にあり、これが時代の流れでちょっとだけ変わって「愛した男を支え、その相手及び子に尽くすことが女にとっては一番大切(まあでも根本的にはあまり変化はない)」で、これは支配を受け入れる側の構造になってる
なので、男性からのsei行為を受け入れることを女らしさの一部として社会から強要されがちになってるのが今の社会なんじゃないかな
人々が個人であることより、性別がもたらす社会的な役割を演じるよう、全員がずーっと強要されてる感じ