OK
返信の受付は終了いたしました。
  • がんばらないと言うよりは、
    『がんばる前提に自己否定や禁止事項がないか?』って感じで聞いた話が、今まで見聞きした中では一番しっくり来てます。

    たとえば
    「痩せてキレイになれば幸せになれるはず。今の太ってる自分はダメだ、サラダとささみとオートミール以外食べちゃダメだ、毎日筋トレ!」と思ってがんばるのと、
    「今の太ってる自分も悪くないね、スイーツ食べるの幸せだもんね。でも痩せてスタイル良くなりたいな、スイーツ食べる日は一駅歩いて帰ろう」ってがんばるのと、っていう違いかなと。

    後者のがんばるは、楽しめるやり方考え方でがんばる、そのうち夢中になってくる(この部分だけ見ると、あの人すごい努力家だねって言われることもある)って感じかな…
  • 経験談。
    頑張って失敗した、頑張って空回りした。
    頑張らない方が、素の自分だから本能で行動している。

    そんな感じでしょうか。
    頑張って周りが見えなくなることがあります。
    本当に自分の求めている事、自分に素直になるために一息ついた方が良いのかも?と多々思います。
  • スレ主(NH6o7z)2024年2月3日
    返信先: @Usfo83さん 動機の土台が自己否定が自己肯定かで頑張るか、頑張らない(第三者からは頑張ってるように見える)かが分かれるのですね

    ありがとうございます!
  • スレ主(NH6o7z)2024年2月3日
    返信先: @3YZ97iさん 頑張らない方が本来の自分としてのスペックを発揮出来るのかも……

    ありがとうございます!
  • 持論ですが「自力で頑張ろうとし過ぎると、他力(高次の存在による手助け)が介入しにくくなる」というのもあると思います。
    自分で頑張るのはあくまで「受け取り」の準備で、その準備をしっかり出来ていれば、最高のタイミングで高次の方々が運んで来てくださるので、それを受け取る…という感じでしょうか。
    それの塩梅が「がんばらない」に繋がるのかな?と思ってます。
  • スレ主(NH6o7z)2024年2月3日
    返信先: @CzB9SQさん 自力の割合が大きくなるほど、他力の介入できる余地が狭まるのですね!

    ありがとうごさいます!