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以前は、例えば歴史ドラマとかアクション映画とかにラブコメ要素が出てきても
そのキャラクターの人物像を掘り下げたり人間関係を広げてストーリーを面白く転がすために必要なシーンとして受け入れられてた。
ラブコメを共感できないものの自分なりに分析して理解しようと試みる楽しみがあった。
最近はラブコメが始まるたびに心に蓋をして無になって次のシーンに移るのを待ってる感じがある。
多分楽しめないわけじゃないのに、楽しめない自分を無意識に装ってる気がする -
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2件投稿したうちの1件目がサイレント非表示食らってそうなので補足
昔は恋愛要素を含むコンテンツを、あくまで外から眺める娯楽として楽しめてたけど
他者からの「結局恋愛したいんじゃんw」のような反応が辛いので、知らず知らずのうちに
「共感できない」じゃなく「受け付けられない」の立場をとるようになってしまった。
というような内容を1件目に投稿しました。 -
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自分は元からあまりフィクションの恋愛にもピンとこない方なのですが、自分が恋愛したいのと他者同士の恋愛の創作物を別として楽しむ感覚は想像はできるので、そういう前者と後者を取り違えた息苦しさは何となく想像できるように思います それでAセクなんて嘘じゃんとも全く思わないし
結局恋愛したい、という誤解で自分の根本にある「いや自分は恋愛したくない」というのと「好きなものを躊躇いなく好きと言える、本来持ち得ているはずの人間としての自由」をまとめて否定される感覚というか……さぞしんどいだろうなと言うか……横からこんなことを言って恐縮ですが、いつかまたあなたが蓋を開けて恋愛物を楽しめる日が来るといいなと思います -
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