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傷ついた記憶の痛みを強めて、更に自分の中に明確にある「少なくとも今ここにいる自分は、セイ的や恋愛的なことをしたくない」のを「未来ではできるかも」「相手が悪かっただけ」と、今いる自分を蔑ろにして否定されることは、はっきり言って二次加害だと思ってる -
双方望んでいるから恋愛やセイ的なことをする、というのであれば別にいいけど(もちろん相手を尊重した上で)
今まで興味があると思ってたけど、実際そうしたことに直面したら自分は別にこれを望んでいなかった、と気づく場合だってあるし(恋愛やセイ以外でもこういうことはあるのに、何故こうしたことだけ大騒ぎされるのか謎)
そこで更に嫌な思いをして傷ついた、という人に、その人が望んでいるからではなく「人間の機能的にできるはずだからやれ」いうのは暴力だよ
傷ついた記憶と望んでいないという指向は、確かに必ずしも一致はしないかもしれないけど、それで一致している人を責めるのは間違いじゃないか