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作中で全く描かれていないキャラの恋愛指向を捏造して勝手にカップリングを作ったあげく一線も越えさせたり
明確な描写があるにもかかわらずキャラの指向を捻じ曲げてカップリング作ったあげく一線も越えさせたりするよりは
キャラをクィア認定して恋愛しない可能性を考慮する方がマシにみえるかもしれないが、五十歩百歩だわ
だから言及されていないキャラの恋愛指向を外野が勝手に断定するなよ
指向を勝手に決めつけるのもそれはそれで差別的じゃないのか -
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LGBTQ+を断言するのは性の多様性だから肯定されるべきと思い込んでるが
認定したキャラが後々異性愛者であることがはっきり示されたら虹活の大嫌いなミスジェンダリングやってたことになるのにな
虹活や当事者が異性愛者にやらかすミスジェンダリングは差別扱いから免れるの不公平だよね -
見方を変えれば「クィアでないならば作中で必ず恋愛描写がある」ということなんだけど、現実問題そんな頻繁に恋愛感情を持つものなの?
仲の良い相手だろうが仲が悪い相手だろうが近親者だろうが買い物で必要な言葉を交わしただけだとかでも(出会った相手が性別条件さえ合えば)恋愛感情を持つの?
実際は性別条件だけじゃなくいろいろな条件があって初めて恋愛になるんじゃないの
だからクィアでないが作品で描写された時には恋愛をしていないということもありうるんじゃないのか
だから作中で恋愛をしない=クィアであると断定するのは間違っていると思うんだが
長くなったけど、クィア要素もないが恋愛要素もない物語があっていいんじゃないのか
むやみにクィア要素(あるいは反クィア要素)を作品に見出すなよ