• gOPMmp7月18日
    多様性という言葉の濫用こそが、実に日本らしく問題の所在を曖昧にする言葉。
    政治と社会の仕組み、制度、設備設計に求められるのは「包括性」である。
    多様性は既に存在するため、取りこぼさないようにするのが仕組みを作る側の行う仕事。それが多様性を包括する社会にするという事。

    また当然ながら人倫と公正に則った上で他者の基本的人権を排除、攻撃する人間の行動は認められない。
    何かここを誤解している節を、減ってはきたが折々に感じる。

    今はある基準において同能力を持っている人間すら、いくつかの属性により取りこぼされているため、それを取りこぼさないようにする仕組みが少しだけ出来てきた段階。
    加えて同一労働同一賃金にもまだ至っていない。

    何が自分の不満の元なのかをあやまたず見てほしい。
    同時に自分が既に高下駄を履いており、それに気がついていないのではないかと検証してほしい。