• 「チー牛は差別用語ではない。黒人や障●者と違って、自分の行動でどうにでもなるからだ。望んでも人種を変えることはできないし、一度障●者になったら健常者に戻ることは非常に難しい。でもチー牛は違う。チー牛と言われたくなければ、メガネからコンタクトに変えるとか、髪を染めたらいい話」という意見をネットで見て、モヤモヤしています
    でも、なぜおかしいと思うのか、このひとにどう反論したら良いか、うまく言語化できません。どなたか、いい感じに言語化してくれませんか?
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  • 差別用語というより、侮辱的な言葉だからでは無いでしょうか?
    勉強すればいい話だから「バカ」って言っても良い。とはならないのと同じかな~と私は思います
  • 「チー牛」であること、またはそのような特徴を持っている・持ち続けることは全く悪いことではありません。なのに、「チー牛」的な要素を悪いこと、見下していいことのように正当化しているところがおかしいなと思います。
    加えて、言われて嫌に感じる言葉=よくない言葉です。
    というか、コンタクトして髪染めてる=おしゃれという浅すぎる意見に笑えてきました。
  • 差別用語だろうがなんだろうが他人を貶すことは良くないことに変わりないのに差別用語かどうかに問題をすり替えた上、自分は微塵も反省せず対象に変わることを求めるのはあまりにも自分勝手が過ぎると思いますね
  • 変えられることなら差別していいと読み取れます。じゃあ「メガネかけてる人」や「髪が黒い人」を差別して良いんですかね。

    少なくとも、チー牛が差別用語でないことの説明に全くなってない
  • 主様がうまく反論できないのは、それが相手と論じる内容ではなかったからです。

    その発言者の人は、差別用語として使用する意図はなく「垢抜け」「不細工」「汚い外見」という含みを持つ言葉の総まとめとして「チー牛」という語句を使用しているのではないでしょうか。チー牛はインスタではポジティブな意味(いい意味で親しみやすい、メガネでボサボサ頭の垢抜けないオタク男性)に書き換わったとも言われます。

    ですが、使用する場所やタイミング次第では自滅するリスクを負うネガティブな発言であることは確かです。現にその発言で、主様のような人からヘイト買っています。「チー牛」発言も、本人が悪意はないと言ったところで、寿司ペロレベルの事件や、不適切な投稿として周囲から攻撃を受けるリスクは高いです。

    反論される人ではなく、ただ叩き潰される人であるから、主様が対等な意識で反論を思いつかなかったと私は感じました。志のある主様が、お相手の方と同レベルに落ちて議論するのは困難でしょう。
  • 「差別ではない」と最初に言いながら、それ以降はすべて「差別されたくないなら差別対象となる部分を改めればいいだけ。改めないなら差別する」と言っているのでおかしいです
    こんなめちゃくちゃな主張をする相手に反論は無理です
    理解できないでしょうから時間の無駄です
  • 見た目いじりのルッキズム思想は現代ではもう普通に差別じゃないですかね
  • その人には「なら、あなたがチー牛なんですね」と返せばいい。反論してきたら、なぜ反論しようと思ったのですか?そこに不快感はありましたか?不快感があるのなら、勝手に決めつけられ理不尽さを感じる部分が差別と同じことですよ。と返せばいい。これがわからないなら相手の知能が未熟なだけ
  • 自分の行動でどうにでもなる。
    というところに欺瞞を感じます。
    自力ではどうにもならない人もいそうですし、仮に外見を多少改造したところで内面がチー牛だと言われてしまいそうです。
  • 例えばメガネをかけてる人に「メガネ」ってバカにしたら、【メガネ】って言葉自体はなんの差別用語ではなくても、使用した人が差別の意味こめてたら差別用語になるだろって話じゃないですか。
    その人の発言はメガネって言われたくないならコンタクトにすれば良いって言ってる感じだけど、まずコンタクトが上でメガネは下みたいな価値観を押しつけてる時点でおかしい。メリットデメリットそれぞれあって、個々人の感覚や優先したいことだってそれぞれなんだから、メガネはコンタクトよりダサいってその人の意見がまるで正しいかのように言うのは間違ってる。
    その人はチー牛の外見を明確に差別してるんだから、差別用語ではないと言われても、あなたは差別の意味を込めて使ってるので差別用語になってますよと。