OK
  • VtgwN112月5日
    返信先: @自分 「恋愛したいのはどうして?セイ的接触をしたいのはどうして?」について言語化しているのを「そうしたいから」「相手が好きだから」くらいで終わってるのを読むと、正直「何の言語化もされてないじゃん、『そうしたいから』とか『好きだから』の理由を知りたいし、その理由に纏わる『じゃあ今後どうしたいか(あるいは自分の倫理観や知識に照らし合わせてどうするべきか)』について語ってまで言語化では?」と思うことが多い 
    でも何でこう思うのか考えてみたら、自分の場合は「恋愛orセイ的接触をしたい」より「したくない」の方が「何で?どうして?」について突っ込まれることも多かった上に、場合によっては侮蔑的なことも言われてきたので、その都度自分の中にある「したくない」と対峙しつつ、嫌な言葉に対しても回復するために色んな本を読んだり人の経験談を聞いたり自分の頭で考えたりし続けてきたから
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  • スレ主(VtgwN1)12月5日
    返信先: @自分 「やりたいから!終わり!」の上にそれで周囲から何も突っ込まれたりせず、侮蔑なんてもちろんされずに納得されているのを見るとすごい不平等感を感じるのかもしれない
    「えっそれで納得するなら、私が『したくないです!終わり!』になっても『そうなんだ』にならないとおかしくない?」みたいな
    まあマジョリティとマイノリティの差が歴然としてあるのも分かってるし、AセクAロマはその中でも更に悪魔の証明を強いられがちなのも分かってるんだけど
    たまに今まで自分のしてきた努力って何だろうと思ってしまうことがあるし、マジョリティとマイノリティの非対称性ってこういうところにあるよなとも思ってしまう