返信の受付は終了いたしました。
-
-
- 読み込み中...
友達から「恋人できた」とか「婚活始めた」とか、そういう言葉を聞くと一瞬体から血の気が引くような感覚がある
それはやっぱり「恋愛やセイ的なことに関して、自分と似たようなスタンスだろうと、心のどこかで期待してたけど違った」ショックもあるんだけど、これの地続きで「もしこの子の恋愛が上手くいって結婚したら、この子とも疎遠になってしまうかもしれない」という恐怖と「上手く行ったらちゃんと『おめでとう』って言わなくちゃ、出来るだけ明るく、気にしてない風に、ちゃんとテンションが高く朗らかに……」という予行練習を頭の中で何回かやる緊張感と「でもやっぱり本当は恋愛やセイ的なこと……つまり時として自分を否定する概念に進もうとすることに『おめでとう』なんて心から思えない」と思ってしまうエゴで頭の中がぐちゃぐちゃになる -
-
-
- 読み込み中...
一番は置いていかないで欲しいんだと思う、このマジョリティからちょっとでも外れたら蹴倒されるような社会で、心から「楽しい」とか「嬉しい」と思えて、そういう経験を分かち合える存在って私にとっては貴重だから
だから一言で言えば「寂しい」なんだけど、この「寂しい」だけでは済ませられない感情がずっしり重くてつらい
結婚や恋愛なんてなければこういう分断に怯えることもないのに、とも思ってしまう
その子の恋愛や結婚が上手くいって疎遠にならなくても友達でいたいし、助けを求められたらもちろん助けたりしたいけど
なんかそういうのだけで片付けることができない感情の重さがあるんだよね -
友達に婚活しないで欲しいと思ってしまう気持ちについて書かせて欲しいので下げる