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被害後の反応はさまざまである、ということについてもっと深く知られるべきだと思っている
特にトラウマの再演、つまり「自分は被害を乗り越えたはずだから、もう一度同じようなことをしても大丈夫なはずだ」という確認のような感じで、不特定多数とセイ的な接触をしたり
あるいは「自分はもう汚れたのだからどうしようもない」と自暴自棄になって、いわゆる自分で自分を傷つける目的で同じようなことをしてしまうケースもある
でも内心本当はそんなことをしたくないので、やればやるほど心身ともにボロボロになって人生は酷くなっていく……という場合がある
一方で世間では「トラウマになるほど嫌なのなら、被害者は絶対似たような状況は避けるに違いない」という偏見がある(回避するのもトラウマには違いない、ただそういう回避の反応「だけ」がトラウマだというのは間違い)ので、自らトラウマの再演をし続ける被害者に対して「本当はそんなことがなかったんじゃないか」とか -
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ひどい時は「金をせしめるために嘘をついたんだろう」と言い出したりする 容姿や社会的な背景を加味してあれこれ好きなことを言ったり、ジャッジしたりする
ちょっと被害後の反応について調べれば、そんなことは間違いだとすぐ気付けるはずなのに
「被害があったことを『信じられない』」と軽々しく言うことが、ただでさえ安全な場所がないと感じている被害者を、どれだけ社会から突き放す言葉なのかわかってる?
突き放された結果、まだ手のひらに残っていた微かな安心感を完全にもぎとられて、どれだけ社会に絶望するか、少しでも想像したことがある?
被害者の人生は、他人の娯楽のために存在してるわけじゃない、と叫び出したくなる瞬間が何回も何回も何回もある
トラウマがいかに深刻な事態をもたらすのか、当たり前の常識になってほしい -
内容としては二次加害に関するものがメインです