OK
  • YjJCSb2月7日
    推しの事を昔は人格面ではそこまで評価してなかったけど、

    歳食って世の中の悪意まみれの悲劇的なフィクションを見ると、
    「あの人はこんなえげつない真似はせんだろう」と思えるだけで、
    相対的に人格面での評価が上がって行く。
    「底抜けの悪意を絶え間ない悪意で煮詰めて執着と愛着をトッピングし、
    造り手は悪意に満ちたこだわりを楽しそうに公言し、
    群がった読者も悪意のキャンプファイヤーで熱狂、
    しかもクライマックスはもう少し先らしい」
    みたいな環境を見てしまうと、
    相対的にもはや評価はストップ高である。
    冷静になれ私。
    あいつはそこまでの聖人じゃないぞ。

    それでもそんな、
    「濡れた犬を嬉々として棒で叩き、
    それを取り囲んで囃し立てる娯楽がバカ売れ」という現場を見てしまうと、
    「こんな世の中でもお前の事は信じられる」と、
    縋り付いてさめざめと泣きたい気持ちはある。
    「そんな事しなさそうな奴を選んだ私GJ」の方が本音だが。
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