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それはつらくて当たり前だと思うし、被害の経験を「納得してもらえる材料があって良かった」なんて到底できないのもわかる セイ暴力は誇張抜きで人の人生を壊すものだから、そんなものを自分の存在の肯定に使えるわけがない……そしてそういう「セイ被害を受けたから本当のAセクじゃないのでは?」というのは、「セイ被害にあったならセイ的なことや恋愛は避けるはず」というセイ被害への偏見だと正直思う 何故ならセイ被害を受けた後に恋愛したいかしたくないか、セイ的なことをしたいかしたくないか、これは被害者によって違うから -
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被害を受けた後も「恋人が欲しかったり、好きな人となら行為がしたい!」な人もいるし、本当に一切したくない人もいる
前者の場合は本当に色々な理由がある(これは自分の印象も入るけど、自分の意思を徹底的に無視され物のように扱われる行為と、「やめたい」と言ったらその意思を尊重してもらえる行為では同じセイ的なものでも意味合いが全く違うし、後者の場合なら安心できてかつ愛情を感じられる、みたいな場合があるんじゃないのかなと思う なので別に好きな人とならしたいケースの人=その人にとって被害は軽かったし大したことはなかった、では全くない)し、一切したくない人は、被害に関連するものを見ると(これは恋愛やセイ的なものに限らない)フラッシュバックを起こす場合があってそれを回避したいからこそ避けることが多い様子がある 関心のなさから避けるというより、恐怖や強い忌避感とかそういうのかな -
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有性愛者の人がそれまでセイ的なものへの関心があったけど、避けるようになるのはこういうケースが多いように感じる
なのでセイ被害がその人にどういう影響を与えるかは本当に人それぞれだし、そもそもセイ的指向はいろんな要因があって成立するものだから、セイ被害がセイ的指向に何かしらの影響を及ぼしているからと言って、それで自分が自認している指向が嘘になるわけではないと思う
一度何かしらのトラウマを背負ったら、今その人が感じている気持ちは全部トラウマが原因で、トラウマで説明できない気持ちは全部嘘になるの?違うよね?みたいな感じというか
それに(ご友人には言葉がキツくて申し訳ないけど)世の中のAセクへの偏見が強いことは、セイ被害の実態とAセクが両方ともどういうものかよく知られていないためであり、別にAセク当事者の被害者がいるせいで偏見が絶えないわけじゃないよね?と思う -
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問題をそうやって「本物のAセク」という、二次加害的な行動にすり替えるべきではないのでは?とも感じる ましてや被害者の被害を受けた記憶を責めるような物言いなんて、絶対してはいけない
すごく長くなってしまって申し訳ないけど、何というか……本当にとても嫌だっただろうから気にしないでなんて言えないけど、つまり「あなたは悪くない」というのが言いたかったです
どうか今日は温かいものを飲んで、ゆっくり寝られて、明日からすごくいいことがたくさんありますように -
信じてもらえなくて辛いんだろうというのは察しがつくけど、「なるほど!わかりやすい被害エピソードがある私ってば恵まれてるな〜」と思うにはあまりにいやな思い出なんだよね 被害に遭ったのが小学生の時で幼すぎたから、「いやいや私は被害に遭わなくても絶対Aスペクトラムになっていたはずだ! 被害経験は何も関係ない!」って言い切ることもちょっと難しい 人格形成に絶対関わってはいる
それならあの日の私と代わってくれてもいいのよ……って一瞬でも誰かに対して思ってしまった自分も醜悪で最悪 どんな子供も酷い目にあってほしくないって思っていたはずなのに