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そもそも人間は本来自分が暴力を振るうことに耐えられないらしい 暴力がいかに恐ろしいものか本能的に分かっているから
それでも何かしらの目的……例えば暴力を振るうことで自尊心を回復することに依存するとか、あるいはそうしないと自分の持っている大切なものを失う(=自尊心を失う)とか、理由はいろいろあるけどそうして暴力を振るう選択をしてしまった時、その現実を直視しようとする=被害者のくるしみやつらさを知る、それは耐えられないので加害者は被害者から目を背けてしまうのだと
そういう苦痛から目を背けるためなら、加害者は何でも利用する
例えばこの場合なら人種差別とか 歪んだ社会の認知とか 本当に何でも利用するのだと
そういうおぞましさをまざまざと見せつけられる映画だった
でも見て良かったと思う 美しい庭だけ見ていることは、きっと誰かの助けを求める声を聞こえなくするし、目の前だろうと暴力を見て見ぬ振りすることに繋がるんだ
そう思った作品だった -
第二次世界大戦中、アウシュビッツの収容所の隣に住んでいた家族の話
家族と言っても民間人ではない、アウシュビッツ収容所の所長だったルドルフ・ヘスの話
ナチスに関連する作品は、他に善き人を見たことがあるんだけど、これも凄まじい作品だった 暴力的な描写そのものは一切映らないし、収容所の生活も一切描かれない
暴力への無関心というか……どちらかと言うと無関心を装おうとしてしまう怖さ、のように見えた
(以下、暴力に関する加害者の認知などについて触れているため下げます)