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  • スレ主(RjcBrx)9月18日
    被害にあったころより被害後の方が長い人生になった
    幼少期の被害だったので、正直被害に遭う前の自分がどんなだったのか本当に、何というか記憶はあるけど実感がない 
    親は寄り添ってくれなかったし、周りがみんな敵にしか思えずに毎日を過ごしてたころ、ふと「しんだら楽になれるのでは?」と思う時が何度かあった
    実際自分の意思ではないことで「しぬかも」と思うことが一回あったけど、怖さと同時に「良かった、これで楽になれるしこれ以上つらい目にも合わなくて済む」と心から安堵する感じがあった
    本当にあの時初めて、すごい安らぎを感じた
    でも後でカウンセリングにかかった時に「その安らぎは生命の危機に瀕した時の脳の防衛装置のようなもの」と説明されて納得した
    実感はあるけど、それは結局実感があっても安らぎの幻覚にすぎない、みたいな感じだったと思う
  • スレ主(RjcBrx)9月18日
    返信先: @自分 そして私が今思うのは、被害にあった後の自分の気持ちを誰の目も気にすることなくはきだすことができなかったから「しんだら楽になれるんじゃないか」と思ったのであって、そうでなければ「しんだら楽になれる」とそもそも思わなかっただろうな、ということ
    私はたまたま運がよかったので、そのまましを選ぶことがなかったけど、そうでない人もいるだろうと思っている
    だからこそ、(どんな種類のものであれ)被害後の二次加害でしをえらぶ、あるいはしを選ぶ選択肢が頭に浮かぶのは全然大袈裟じゃない
    そういうことも周知されてほしいなと思ってる