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大弐三位の父を道長にした昨年が改変酷すぎるんだよ -
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歴史小説と時代小説を混同してる人たち、結構多そうですよね。
時代小説が原作で、ドラマにしてるならともかく。
物語に共感するのは良いけど、その区別はつけて欲しいです。 -
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同感です。史実とするには根拠として弱くても史料・資料があるものと、完全な脚色・物語のための脚色とは区別をつけてほしいですね。
辛い結果だけど梅毒から救われる物語ならJIN-仁-を観てほしい、とかなら分かるんですが、過去の大河ドラマにあった架空人物が主人公だとしても年月日などは操作してないと思いますし、JIN-仁-や時代小説などはそのフィクション部分である脚色こそ物語の主軸だったり醍醐味だと思うので、それを持ち出してシ亡年のような根拠のあるシーンをあれこれ言うのはどちらにも失礼なように個人的には思いました……。
コメントありがとうございました。 -
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紫式部の没年は一次史料では明確にならないので、いくつかある説から選択せざるを得ず、やりたいことからシ亡年の説を選んだ結果かな……とは思います。
コメントありがとうございました。 -
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いただいたコメントへのレスして思ったけど、大弐三位の父親=道長ってマジでただの設定萌えのためだけの脚色だったなと思った
紫式部が道長の妾だったとする史料を根拠としてもあくまでそれは妾だったことに過ぎず道長=父親とまで特定するものではないし、さらに史料・資料等からは筋藤原宣孝とするほうが筋立ってて、加えて物語の展開としても大弐三位の父親が道長であることによる影響が全くなかったから、あまりにやりたいことをやり過ぎなんだよね -
原作者の村上もとか先生に失礼すぎる
あとこの脚本家はシ亡年を改変させないって指摘、改変させたらもう大河ドラマじゃないだろ…ってなる
別人に成り代わるとかはあるとしても、その名前の人物のシ亡年は改変しないやろ…
歴史小説と時代小説を混同してる人たちかな??????