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既知の恐怖を抱く人から見た場合。
こういった人は自身が怖れているにも関わらず、まったく恐怖しない人であり。
その存在それ自体が恐怖の対象になり得る可能性を秘めている。
その先にあるのは『致命的かつ徹底的な断絶』である。人の本能に根差した"それ"は、だからこそ埋め難い違和感/差異として人と人の間に浮き彫りになるだろう。 -
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…………なんて事を『パノラマデリュージョン/小原愼司』を読みながら考えたり -
これが面白いのは、未知に対する恐怖は『知らない事に対する恐怖』であるのに対し。
既知に対する恐怖は文字通り、何が起きるのかを『すでに知っているからこその恐怖』な点で。
初見であるが故に怖いという体験をした人が、同じシチュエーションに再度遭遇した時には"過去に同じような経験をしたが故に怖れる"というところにある。
──ここまで目を通した方の中には、ある疑問を抱いた方もいるのではないだろうか?
既知の恐怖──PTSD(心的外傷後ストレス障害)──は──長い時間がかかるにせよ──克服することが可能であり、また同時に"そういった状態"にならない人(=経験しているが故に怖れない)も存在するという事実。