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正直、作品を見て頓珍漢な事を思ったり感じたりしても良いのだ。
作品を鑑賞すること自体が自分の現在地を知る事でもある。自分がどれだけ無知で、そして世界の不可思議を知れる驚異の体験だ。
私的で、内密で、安全で、自由な冒険の旅だ。どんなに自分の内面の醜い部分が暴かれても、物理的には何も起きない。誰も傷つかない。
アートを危険なものにしているのは、口に出さずにはいられないあなた方の悪癖の所為なのに。
作品は何も言わず採点せず馬鹿にしない。
馬鹿にするのは常に人間であり、そしてその人間を呼び込んだのはあなた方自身の「共有したい」という衝動だ。
その因果が一向に分からず、アート鑑賞への不満を共有して同類と繋がりほくそ笑む人々。浅い。どこまでも浅い。
そんなあなた方に文句一つ言わず、深みに先導してくれるものこそがアートなのだから皮肉としか言えない。
脳の運動不足の治療を寛大に手伝ってくれるのは決して、人間ではない。非生物との無言の対話でしかない。 -
「作者の心の中の正解なんて当てられないし、正直つまらないからアートなんて嫌い」と臆面もなく言う人々。
アートと自分だけを真正面から孤独にぶつけ合い、価値観が揺らぐ事の素晴らしさを知らない。
当時の世界について調べ、思いを馳せ、想像に独りで没頭することの滋味深さを解さない。
他者に迎合できる噛み砕かれた正解がお膳立てされていないと何事も消化できない雛鳥のような烏合の衆。
「でも、不正解を言うと馬鹿にされるからアートは嫌いだ」と?
鑑賞はそれ自体で完結している体験であるのに、共有と言う蛇足を付けるからそうなる。
作品と向き合う沈黙の時間は全て、自身の内面の滋養ではなく先に待つ交流の手段としか見ていないから、過剰に不正解を恐れる。
作品を鑑賞した体験を、黙って心の中にとっておき、時間をかけて磨き上げる事をせず、即座に口に出し世間の承認を待たずにはいられない浅薄さ。