• 「覚えているだろう?予言の最後の、あのシーン——水神は自らの神座において、ひとりぼっちで涙を流す。」
    「予言が実現した風に「見える」ように、僕はフリーナという役者を招き、予言の中の水神を「演じて」もらった。」

    これ公式でフォカロルスがフリーナに水神を演じさせた理由なんですけど、魔神任務中で、予言最終段階かつ「水神は自らの神座において、ひとりぼっちで涙を流す。」シーンってありましたっけ?

    裁判だと前段階のフォンテーヌが水に沈むシーンが発生しないから予言の最後では無いと思います。
    また、裁判後に「「予言」は、すでに上演真っただ中…ということだ。」との発言があるので裁判は予言の最後には該当しないと思えます。
    他にも、石板と同様に予言の順番が前後し、水神が涙を流してから洪水なのか、とも思いましたが、その場合は水神が涙を流してから刑を執行して大権を返せば良いだけなので、役者は不要です。

    しかし裁判後だと
    「膨大なエネルギーをもってして初めて、天空の島が定めたルールを揺るがし、俗世の七執政の構造を壊し…水神の神座を破壊するための隙が生まれる」
    らしいので、水神の神座は破壊されており、七神としての水神の構造が壊れている以上は、フリーナが演じるべき水神は天理にとっても既に存在しない対象だと考えられ、この場合はフリーナは天理から見ても存在しない水神のフリをする偽者になります。
    また、フォカロルスがヌヴィレットを巻き込みクジラ討伐以前にフォンテーヌ人を人間に変えたので、クジラ討伐後に水が溢れても「人々はみな海の中に溶け」が不成立になって予言の最後までやはり辿り着けません。リオセスリ達が海面に顔を出したタイミングで浮かんでる人もいましたし、ムービーを見てる限りだとそもそも水中に沈んで無いフォンテーヌ人達も居たようです。

    なのでフォカロルスがフリーナに演じさせたかったシーンを見落としたと思い、いつ該当のシーンが発生したのか気になりました。
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  • スレ主(HVcGb4)2024年1月25日
    フォカロルス生存中の期間はフォカロルスが人前に出れば役者は必要無いと思うのですが…
    でもフォカロルスの去り方が、物凄いエネルギーぶつけて天空の島のルールに影響与えて水神の神座を壊す、と、控えめに見ても天空の島と深い関係で一切の法則を司るらしい天理にバレないとは到底思えない方法だったので死後も難しいように思えまして…

    一応、天理の調停者は瀕死らしいので偽物に気付いても行動できなかった説やそもそもテイワットの状況を認知できていない説はあると思います。
    しかし、それらの説を前提にするとフォカロルスは、最初からフォンテーヌの状態を把握できない/把握しても行動できない相手を無意味に騙す計画を実行していたか、その部分が計画の穴で本来ならフリーナが演じようとバレて溶けるから無駄だった、の二択になってしまうような
    どっちにしてもフリーナ数百年演じた時間は不要か無駄な時間になるし、フォカロルスの計画や死に様にもケチが付くので多分と違うと思っています。

    なので本当に気になってます。
  • スレ主(HVcGb4)2024年1月25日
    返信先: @EPLZdqさん ご意見ありがとうございます。

    その時点だとフォカロルスが生きてますし、フォカロルスが何らかの重大な犯罪行為を行って裁判に掛けられるだけで充分達成可能なシーンなので、フリーナが演じる必要性が全く無いために違うと思います。
    少なくともフォカロルスは計画に必要だと判断してフリーナに水神を演じさせた筈なので、フォカロルス自身が出て来れば済むようなフリーナが不必要なシーンは、演じさせたかったシーンに該当しないと考えています。

    あと、比喩的な意味と解釈して、裁判所内の意見が一致すれば予言として成立するなら、意見の一致は既に過去の裁判でも発生しているので、それも流石に違和感があります。

    また、その解釈だとヌヴィレットが罪を赦した時点で予言は完了しますが、実際にはその後に発生する洪水こそが予言による現象として扱われています。

    なので最後の裁判≠予言と考えました。