• 返信先: @EPLZdqさん ご意見ありがとうございます。

    その時点だとフォカロルスが生きてますし、フォカロルスが何らかの重大な犯罪行為を行って裁判に掛けられるだけで充分達成可能なシーンなので、フリーナが演じる必要性が全く無いために違うと思います。
    少なくともフォカロルスは計画に必要だと判断してフリーナに水神を演じさせた筈なので、フォカロルス自身が出て来れば済むようなフリーナが不必要なシーンは、演じさせたかったシーンに該当しないと考えています。

    あと、比喩的な意味と解釈して、裁判所内の意見が一致すれば予言として成立するなら、意見の一致は既に過去の裁判でも発生しているので、それも流石に違和感があります。

    また、その解釈だとヌヴィレットが罪を赦した時点で予言は完了しますが、実際にはその後に発生する洪水こそが予言による現象として扱われています。

    なので最後の裁判≠予言と考えました。
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