返信の受付は終了いたしました。
-
-
- 読み込み中...
こないだ「ノンバイナリーだからって女性を見下している」みたいな意見を見た時にも「えっセイ自認とセイ表現がそうだからってだけで、何で見下す見下さないの話になるの?」と感じて思い至ったのが、色々な社会的な状況が影響してるのかなって
例えば「経済的に自立した女性こそが現代的」みたいな考え方というか
そして未だに性別の役割を押し付けられがちなこの社会で、女性らしさと言うと「恋愛が好き(好きになった存在、特に男性とのセイ行為は望むべきものと描かれる)」だったり「可愛らしい格好」を連想されがちだったりすると思う
しかも周りと同じように振る舞うことを暗黙の了解として強制されやすかったり、更に悪いことに女性蔑視(男性からだけでなく、同じ女性からもされたりする)が根強いので -
-
-
- 読み込み中...
生物学的な性が女性であると「可愛らしい格好をしたり恋愛が好きだったりするのが普通で、その普通から外れると『女性らしくない、普通じゃない』とか陰口を叩かれたり攻撃の対象になることがあるが、一方で社会の求める普通の女性でいると『これだから女は』と言われたりもする」理不尽な状況に置かれることがある
まあ流石に最近では『これだから女は』とか直球な表現は減ってきたように思うけど、この「理不尽な状況に置かれることがある」っていうのの問題は、今現在そうした状況に置かれていなくても「昔そうした状況に置かれ傷ついたことがある」なんじゃないかな
例えば「いわゆる『当時の普通の女性』でいたけど、そういう枠から外れた『女性らしくない女性』から『男に縋って馬鹿みたい』と露骨に見下されたことがある」とか
でそういう傷ついた記憶を引きずりながら生きていて、かつて自分を傷つけた相手と同じ特徴を持っている相手に出会った時、その人が別に見下すような発言をしていなくても -
-
-
- 読み込み中...
「見下された」と感じやすいのかもしれない
「恋愛に興味ないんですよね」がそのまま「恋愛に興味ないんですよね」ではなく「男に縋って馬鹿みたい」に変換されるような
でもセイ自認やセイ表現やセイ的指向って「自分という存在にとってしっくりくる状態を表現する言葉」であって「女性蔑視の上に成り立ってたり、普通(あるいは伝統かな)という概念に対するアンチテーゼ」では全くないんだよね……そこらへんを履き違えられている気はする
だから多分、セイ的指向やセイ自認やセイ表現に関する問題って、こういう社会的な問題も一緒に解決していかなくちゃ根本的な解決にならないんだろうなと思う
今現在ある問題の解決だけじゃなく、過去にそうしたことで傷ついた人のケアを含めて -
自認前だったから「えっ何で恋愛したくないってだけで、見下す見下さないの話になんの?」と思った
それ以来より一層「恋愛したくない」を打ち明ける相手を選ぶようになったのを覚えてるんだけど
【以下長い上に女性蔑視とノンバイナリーの人への偏見について触れてるから下げておく】