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「見下された」と感じやすいのかもしれない
「恋愛に興味ないんですよね」がそのまま「恋愛に興味ないんですよね」ではなく「男に縋って馬鹿みたい」に変換されるような
でもセイ自認やセイ表現やセイ的指向って「自分という存在にとってしっくりくる状態を表現する言葉」であって「女性蔑視の上に成り立ってたり、普通(あるいは伝統かな)という概念に対するアンチテーゼ」では全くないんだよね……そこらへんを履き違えられている気はする
だから多分、セイ的指向やセイ自認やセイ表現に関する問題って、こういう社会的な問題も一緒に解決していかなくちゃ根本的な解決にならないんだろうなと思う
今現在ある問題の解決だけじゃなく、過去にそうしたことで傷ついた人のケアを含めて -
まあ流石に最近では『これだから女は』とか直球な表現は減ってきたように思うけど、この「理不尽な状況に置かれることがある」っていうのの問題は、今現在そうした状況に置かれていなくても「昔そうした状況に置かれ傷ついたことがある」なんじゃないかな
例えば「いわゆる『当時の普通の女性』でいたけど、そういう枠から外れた『女性らしくない女性』から『男に縋って馬鹿みたい』と露骨に見下されたことがある」とか
でそういう傷ついた記憶を引きずりながら生きていて、かつて自分を傷つけた相手と同じ特徴を持っている相手に出会った時、その人が別に見下すような発言をしていなくても