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「キャラクターは人と違って思い通りにできる(裏切らない)」はありがちな思い違いで、キャラクター論としては「オリジナルとしての原典を争うヘゲモニー」があると10年以上前に指摘している。
キャラクターは他者だ。
思い通りにできる、裏切らない、だから安心だから結婚したとそう述べるものはそもそもキャラとしてなんか愛してはいない。自分の思い通りになってくれる何かが欲しいだけ。
イマジナリーも別世界の彼という考えもキャラとしての愛し方では無いのだ。ただの都合のいい他者への要求。
こんなにも繊細で、皆が手をとって紡がなければすぐにでも劣化して壊れてしまうそんなキャラクターという他者である事を恋人に強いなければならない。それでも好きということがどれだけ素敵なことか。 -
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思い出して欲しい。
一番最初のキャラクターとして物語の中で相手に会った時の尊い想いを。思い通りにいかないキャラクター、そして物語、。心を痛めてもなお、好きでいたあの頃を。 -
想像力には個人差があり、その力量差が作り手と受け手の境界を分けもしているのだが、たとえプロの作家だろうとキャラクターに完全な個性を与えることは難しい。変化を一切望まず、冷凍保存されたような「萌え」を愛し続けたいのなら別だが、記憶というものは劣化していくものであり、それもやはり難しい。
ゆえにキャラクターを愛するオタクは、究極的には「他者性」の介入を許す。自分の好きなキャラが、原作、あるいは二次創作で自分の支配から解放される瞬間を望むのだ。
だからこそ、物語の中で愛しいキャラが(本人の思いもよらず)傷付けられた時、我々はまるで自分のことのように心を痛め、悲しみ、更に愛を深めることもできるのである。
理想的なキャラとは「自己投影」と「他者性」が適度にブレンドされた存在なのだと言えよう。人は他者をこそ真剣に愛するのだ。
ーーー萌えの入門より