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偏見というのは本来関係がない二つのものを無理やり結びつけて発生するものだと感じるし、上記の商法はまさにこういうのを利用してるんだけど、これもそうじゃないだろうか
AセクやAロマに限らずセイ的指向というのはあくまで「自分は他人に対してこういうセイ的惹かれor恋愛的惹かれがあるorない」と「他人や社会がどうだろうと、自分はこう在る」のに対してモテとは「自分がどう在るかは関係なく、他人や社会からどう思われているか」という対照的で本来交わらないものをくっつけたりね
以来、言われたことに傷つくことがあっても自虐したり卑屈にはならなくていいのだと考えている -
まるで美しく愛される存在にならないと(実際のところはそういう商品や技術を手に入れないと、だけど)人生が不幸のどん底になるかのように
そうじゃないと商品や技術が売れなくなって困るから
その上でモテの価値観の中で生きている人は、そうじゃない価値観の人が信じられないんじゃないかと思う
「あいつは幸せになるための努力を放棄している、何で自分から進んで不幸になる?」とか
更にその中には自分とは違う価値観の人を許せなかったり、あるいはおおっぴらに見下してもいいと思う人もいて「非モテだから〜」とか「非モテのくせに◯◯」とか言い出す
この時続く言葉はやっぱり本来全く関係ない言葉とセットにされやすいし、大体他人から恋愛的に興味を持たれなかったら何やっても許されないような文脈がある