-
どうでもいいことったー
-
- 読み込み中...
TmwkOR16時間ジェンダーの多様性を認めることに関して私の例から考えると、両親はゴチゴチの昭和人間だからジェンダーレスのjすら存在しなくて、一方私はどうかというと幼少期は少なからず両親の影響を受けていたものの、思春期に突入して親への反抗期とアイデンティティの変化で新鮮な感覚を取り入れたいという機運の高まりが重なって、結果として声高に叫ばれていたジェンダーの多様性を認めるに至ったのだと思う 今ではジェンダーの多様性を“認める”も何も、認めないことなんてあってもいいのか、他人のことは他人のこと、自分のことは自分のことで傷つけ合わず共存できたらいいものではないのか、と理念のところに興味があるよ 異論は認める -
返信の条件を満たしていません。[条件を詳しく見る]