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  • スレ主(rLEhVk)1月16日
    二次創作の筆が折れた。公式の推しを見て素直に喜べなくなったから、離れるしかないと思った。最初の頃は描くだけで幸せだったのに、感想をいくら貰っても本が捌けても、何かが満たされなくていつも焦るようになって、ずっと何かに怯えてるようだった。
    今思えば、同担拒否になってしまったのだと思う。誰かが描いている推しが、自分が描いた推し以上に評価されているのを見ては、評価の数だけ推しのことを好きだと認められているように感じてしまったのかも。そんなわけ絶対にないのに。
    なにより私が描かなくても良いんだと、胸が痛くなるほど実感した。頭では分かっていたつもりだったのに。私が描かなかったら別の二次創作を見ればいいだけ。幸い推しはとても魅力的で、神様としかいいようがない作画力と更新の早さを兼ね揃えている彼のファンは無数にいた。それに感謝こそすれ、悔しさを感じる必要なんて本当にどこにもなかったことなのに。
  • スレ主(rLEhVk)1月16日
    返信先: @自分 ついさっき推しの最新供給を目にした。辛かった。描かなくなったら、もう好きじゃないんですか描かないんですかなんて匿名で無責任に聞かれるこの場所が辛かった。推しを見て、無意識に画面を暗転させた自分の行動や心情が嫌で辛くてたまらなかった。
    創作は辞めない。でも二次創作からは離れる。
    初めて推しに出会ったとき、毎日が楽しくて幸せで、月並みだけれど世界が輝くようだった。私が見るべきだったのは周りじゃなくて推しだった。描く頻度で推しへの熱量や創作の技量を測られることなんて気にする必要もない些細なことだった。描いた推しへの評価の分だけ推しへの理解や熱量を誰かに認められたようで嬉しいと感じてしまったあの日の小さな承認欲求が、積み重なって手に余るほど大きくなって今の私にそのままのしかかっている。
    投稿ボタンを押した時、自分の投稿で推しの作品数がひとつ増えた事実を見るだけで幸せだった日。
  • スレ主(rLEhVk)1月16日
    返信先: @自分 いまも鮮明に覚えているのに、あの頃には戻れない。
    折れたのは評価の数や感想の量のせいじゃない。時間がかかってもこの承認欲求と向き合って、いつかまた、推しが好きだから描きたいと思える日を迎えたい。その時のために、描けるものやできることを増やしておきたい。推しも創作も好きなまま、楽しめる趣味であれるように頑張ろうと思う。
    吐き出したらスッキリした。