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セイ被害が人生から奪うものは「人生の自己決定権」、つまり「物事をどうしたいか自分で決めること」なので、回復というものがあるのだとしたら「行為をしたいかしたくないか自分の意思で決めること」なんだと思う
「本当は行為をしたくないけど、周りからやることを期待されてるから、期待に応えるために頑張ったらできるようになった」のではなくて -
特に「被害者の存在意義は、感動的な物語になること。被害者は社会にそう求められて生きている。それでも、『私たちはここにいる』と伝えるのが精いっぱいな時もあるし、それだけで十分なはずだ」という一文にすごく頷いた
ただ一つ言うなら、作中でセイ行為をすることは普通で体に意義があることのような記述があるんだけど、個人的に他人とセイ行為をする(もしくはしたがる)のは別に自然なこととは思わないし、そうすることが自分の体にとって意義があることとは思えない
ただでさえ日本では「被害後に行為ができるようになる=被害から立ち直った」みたいな見方をされやすく、そうしないと「いつまでも被害を引きずっている弱い人間」という目で見られやすい、つまり世間からプレッシャーをかけられやすいから(続)