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セイ被害の実態について表立って語られるようになったのは、ここ5年くらいのように思える
それまではいわゆるレ◯プ神話が公然と信じられていて「被害にあった方が悪い」と言われ続けていたから、偏見と実態が乖離していた 今もまだ全然残ってはいるけど
例えば「被害にあったから好きな人との行為で『上書き』したい」的な、よく創作物であるあの描写は「被害にあって傷ついたけど、恋愛的に好きな人に同じことをされることで傷が癒える(これは「もう自暴自棄にならず、トラウマになった原因から逃げずに向き合った」というニュアンスも含んでいる場合が多いように思える)」であり「恋愛的に好きな人との行為は至上であり何者にも代え難くて、全てを解決してくれるものであるはず」という、いわゆる「恋愛至上主義とセイ愛至上主義の強化パーツ」としての舞台装置に感じる
でその後大体被害のことは気にせず人生ハッピーになって過ごすみたいな
でも実際は違う -
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被害者が行為に応じるのは「自分は被害を乗り越えたはず」と自分に言い聞かせるためだったり、社会に安心感がないから自分が信じられる数少ない存在(恋人など)を失うのが耐えられなくて、失わないようにするには自分の心身を引き換えにせざるをえないと感じていたり、「自分は汚れたからもう何がどうなってもいい」と自分で自分を傷つけるためだったり、理由は色々ある
あるいは被害を受ける前の自分に戻りたくて、行為できていた自分に戻るためにやろうとするケースもあるように感じる
でも全部に共通するのは、行為をした/できるようになったからと言って、被害の傷が癒えるわけではない
何故なら自分の心身を他人から物のように扱われたことが心と身体に深刻なダメージを与えているのであって、その回復には人から自分の意思を尊重される方が遥かに重要だから -
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トラウマに向き合う=相手から求められた行為を逃げずにやる、んじゃなくて
トラウマに向き合う=自分で自分の人生を決められるように、他人から求められたからと言って自分の心身を無視したり、蔑ろにしない、なんじゃないかと思っている ある意味で行為そのものはあくまで象徴に過ぎないように思う
でも創作物上ではそういう実態をまるっと無視してファンタジー化してるから嫌だな、と思ってる
どうしてもそういう描写を挟むなら、実態に則した描写をしてほしい 被害はファンタジーじゃないし、正直そういう描写が二次加害の元になってる面はあると思うので -
具体的な被害について言及してるので下げる