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今の社会はただでさえ能力主義だけど、マイノリティであればあるほど、そのマイノリティ性を欠点のように扱われて「欠点があるなら能力でそれを補え」と圧をかけられる立場に置かれやすいと思うのね
で補えても、補えなかったとしても、それは結局自分の中の弱さ(これはマイノリティであることじゃない、生きてる以上発生する「つらい」とか「悲しい」とかそういう感情や、まああるいは普通に性格上の欠点として捉えられやすいところ 人間の完璧性のなさと言ってもいいかも)を否定することに繋がりやすい -
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例えば「自分は舐められないように努力して、今の立場を掴み取った→他の弱い人間とは違う」とかになってしまうと、自分の弱さを認めたらアイデンティティが崩れる状態に繋がるので、本当はくるしくてつらくて助けてほしい時も「助けて」と言えなくなってしまったり
「せめて何とか普通になれるよう努力して頑張ったけど、どうしても自分は補える人間になれなかった→能力がないから自分は駄目なんだ→自分はどこまでも駄目な人間」と、自分の弱さを自分の存在全てを否定するものとして捉えて「こんな自分に価値はない」とそもそも助けてほしい時に助けを求めることをやめてしまったりとか -
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他にも色々あると思うけど、こういう状況におかれやすいように感じる
あとは嫌な話だけど、同じ当事者同士だと余計にこういう傾向が強まったりする場合(ある意味同じものを共有しているからこそ、お互いをより比較してしまうなど)もあるそうなので
だからこそ大っぴらに弱音を吐ける場所、めちゃくちゃいるんじゃない?と思った
こんなことを言ったらだらしなくて駄目な人間だと思われるんじゃないかとか、弱音を吐いた後に「こんなんじゃ駄目だとは分かってるんですけど」とか言わなくていいような場所で、セイ的指向も隠すことなく悩みや弱さを共有したり相談できる場所があれば、ちょっと安心できる人もいるような気がする
人に打ち明けたり相談をしたら解決する悩みはあるんだしね セイ的指向に関する悩みはそうはいかないとしても -
というのを思いついた理由書いてたら、長くなったので下げておく