• 6ANLP/4月11日
    返信先: @自分 ノマカプ呼びから変える時
    「特定属性に敵意・排他がないと意思表示して欲しい。趣味を楽しむ場所で必要以上に怯えたくない」
    という対等なオタク=同志の立場から切り込んできた覚えがある。

    今回の話に怒っている人は「オタクのいざこざで差別問題を軽く扱った」と「マジョリティは同性愛者の危機を軽視しているからこんなことを言ってるんだ!」という方向でキレてるけど、その方向性自体が、仲間として傷つく人間に合わせようとしてきた人の気持ちを考えてなくて悲しい

    「現実の問題を忘れるためという話だったのに、違うじゃないか。仲間だったんじゃないのか?同好の士と思ってなかったのか」と。
    話が違う。
    私みたいな居場所がない奴はいっぱいいる。
    オタクと言う対等なまだ見ぬ友人たちの心労について自分も世間から排他されたから分かると思ってたのに、自分たちがその居場所で傷ついた話を軽視するのか。自分の苦しみを軽視していることは考えないのか。
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  • スレ主(6ANLP/)4月11日
    返信先: @自分 何より一番嫌なのは「相手に対して必要以上に疑わないといけないこと」なんだ

    らんらんるーがどういう意味だったか、覚えてるか・・?

    酷い意味で使われていたな。

    「この人は悪意を込めて言ってるのか、知らずに言ってるのかどっちなんだろう」と疑心暗鬼にさせ、禁止となった小学校もある。

    HL表記にしましょう!と言っている人たちは、自分にとってらんらんるーと他人に向かって言う小学生なんだ。


    だから「ヘテロって悪口として使ってたのになんで使えって言えるの?」という声は差別意識とかじゃなく,「お前はオタクの場では仲間で対等だったのに騙して隠していたのか?」なんだ。悲しみなんだ。

    それで「今までどんな思いをしてきたと思ってるんだ」は「敵意を抱くことへの正当性の主張」だろ

    「お前を仲間と思っていることは嘘じゃない」とは言わないんだなと
    感じていた連帯は幻だったんだなあという。自分の考えが甘かったんだろうが