返信の受付は終了いたしました。
-
-
- 読み込み中...
夢は入りたい作品の世界に入るためのアバターを作ってそれに自我を移す行為を自己投影と呼んでるから、夢独自用語として発展した自己投影と物語のキャラクターへの感情移入はやはり別かな…と思ってる
それに例えばキャラクターのガワをアバターとして自我を乗っ取るようなものは成り代わりというジャンル名があるし、これを成り代わりじゃなく自己投影と言われてると違和感もある -
-
-
- 読み込み中...
夢における自己投影(それ用のアバターを作って自我を移す)に限れば確かに別物かもですね。
成り代わりも投影どころか“成り代わって“いるのでそれを自己投影と呼ぶのは違和感が有るのもわかります。
ただ、夢の用法に限らない「既存のキャラに自分を重ねる」場合の自己投影と感情移入を完全に別物と言い切るのはやっぱりどうなのかなーと個人的には思います。(ここはもう言葉の定義ズレの問題なんでしょうけど…) -
-
-
- 読み込み中...
なんかこの意見に乗っかって腐煽りしてる人がいるけど、そういう分断がしたい訳では無いよとは言っておく。
一部のオタクの中には確かに自己投影に対する忌避感が存在していて、例えば主人公=あなた的なゲームですら私は自己投影をしていないと言いまわる人がいるのがシンプルに悲しいんだよな(本当に自己投影していなかったとしても、過剰にそれを主張するのはやっぱり何かしらの理由が有るじゃないですか)
本当に感情移入とは別物なのかという疑問はあるけど、正味そこはどうでもよくて、そんなに自己投影を忌避しなくてもいいんじゃないの?ということが言いたかった -
-
-
- 読み込み中...
感情移入って作中キャラがかわいそうな場面になったとき「かわいそう」「つらい」って感情になるのが感情移入じゃないのかね…なんていうか日本語ちゃんと扱えたり噛み砕いたり出来る人がマジで減ったなって感じるわ -
-
-
- 読み込み中...
極端な意見ですが、相手の辛さや痛みを絶対に“直接”は感じられない(自分の体験を元に想像するほかない)という意味で「自分」を介入させずに感情移入することは不可能だし、それを自己投影と言っても別にそこまでおかしくないのではという考えです。
もっと言うと、これは別物と主張する人の一部から滲み出る自己投影蔑視への疑問(別物にしたいのは自己投影という概念への忌避感があるからではないのか?というようなもの)であり、ここまで言っておいてなんですが実際に別物なのかどうかは正直どうでもいいかもしれません。
ご不快に思われたのなら申し訳ないですが、私の意見が正しいのだと断定しているわけではなく抱いた疑問を吐露しているだけですし、反対意見は構いませんけど日本語をちゃんと扱えない人呼ばわりして攻撃するのはやめてほしいです。 -
心理学の方面は知らんけど、オタク的用法の中だと大体同じ意味合いな気がする。
“自己投影”にも度合いがあって、その度合いが高いのが「自分と同一視」とかそういうレベルで、低めのものは所謂「感情移入」というだけじゃないの?(こう定義されると何か不都合があるの?)
あとたぶん女オタクの中で「自己投影している=夢女」みたいな図式が有る(+うっすら“夢女”を見下す空気が有る)からやけに自己投影していないと主張したがる人が生まれてるんだろうけど、大前提として別に自己投影=夢女ではないと思う