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→ 蹴られているような感覚になるのではないか?と思います。
(今まで無理をしてきた人は他人のつらさを認められず、他人にも無理をするよう強いてしまう傾向が強くなるものですが)お母さんが辛かったからと言って、9AeJpmさんが辛かったことを抑圧していい理由になりません。諦めなくてはいけなかったのは、今まで性被害にあってきた方の口を封じる圧が社会全体に蔓延していたからであって、これからの社会は違います。性被害に対しての意識は確実に変わってきていますから、誰かに助けを求めることを諦めなくてもいいのです。
なので客観的に見てですが、9AeJpmさんには複数相談できる場所が必要なように思いました。ご両親と距離を置かれたなら、尚更ではないかと思います。
(もしかしたら精神科の予約をとれても結構先、みたいなこともありえるかと思います。そういうときは一日一日を生きるというより、ひたすらやり過ごすような感じがするかもしれません。→ -
被害に遭った物は洗えば済むものではないんですよね。洗ったところで被害が無くなるわけではないし、性被害がなぜ人生をこれほど狂わせるのかと言えば「人の心身を物のように扱い、その人の意思を無視してもいいという暴力であり、尊厳の破壊」だからです。
心とは自分の体だけでなく、自分が身につけているものや使っているもの、あるいは大切にしているものや空間……そうしたものにも置かれるように思います。いわゆる自分の分身のように思えたり、愛着のような感じですね。
だからこそ体に物理的な被害がなかったとしても、私物への被害も同様に心が傷つくし、軽視されるべきではない。そして過去のことだろうとそのつらさは変わらないし、変わらないからこそずっと延々と人生を→