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どういうわけで何がいけないのかを親は言葉で説明できて、子どもはそれを理解できることが大事だと思うけど(理解力が年齢にかかってくると思う)、嫌な思いさせることで否応なく考えを変えさせるっていうのが拷問に近くて、虐待だろうなと思います。
(公平な意見とは?) -
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人が思うより、5歳の子供って結構しっかり見てますし、色々考えてるんですよね。エピソードを見てないので字面の話だけの感想になって申し訳ありませんが、自分の場合は、偏食は許されないというか、好き嫌いするのがかっこ悪い印象があったのと、親がわざわざ料理を作ることがなかったので、どんなに苦手な料理でも作ってくれたことが嬉しくて食べてました。なので、しんちゃんがおこなった「庭に苦手な料理(食材かもしれませんが)を捨てる」というのはたとえ5歳児だろうが人間としての一線を超えている気がするんです。それをみさえが”身をもって一線を超えた行動だった”と嫌われ役になって、一線を超えた行動をもってして教えてくれたのだとしたら…と思うと、みさえのとった行動の気持ちも何だかわかる気がします。
自分も苦手なものの時は一生懸命食べようとして、でも吐き戻して…の繰り返しでした。でも親が美味しそうに食べてるとまた食べたくなるんですよね(笑)
ただこの現代においてはあまり良く無い酷い行いだというのも理解出来るので、結局は家庭次第なのでは無いかと思います。主さんが偏食だからって、ご自身が別にそれでいいなら気を病む必要は無いと思いますよ。 -
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みさえも、母も、人間なんですよ。ピーマンをに手をつけない、噛んで吐き出す、くらいならまだ普段からやっていたことで、それでも好き嫌いを無くそうとめげずに食卓に出していたんです。(実際それでも辛いですけどね。作った料理を毎回残されるって)
ですがこの回のしんちゃんは、それを庭に捨てるという料理への処理の仕方とは一線を超えた捨て方をした。(三角コーナーに集めた生ゴミの処理ではなく、確か皿からストレートに行きましたよね)
それは大人からしたら『お前の料理は残飯以下』のように感じてしまうでしょう。5歳にとっては単に『嫌なものを見えなくした』ですけど。だからみさえもちょっと限界だったんじゃないでしょうか。
このエピソードはかなり前のものですし、今の子育て観からしたら虐待に思えるかもしれません。これが正しい接し方だとは確かに言えません。
でも親は毎日子供に拒絶・否定されながら、それでも踏ん張ってます。ギリギリなんです。 -
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自分も偏食な子供でしたので気持ちがわかります。
嫌っていた食べ物のうち大人になって食べられるようになった物と、どうしてもダメなものがありました。
そして自分が親になった時に、みさえのように少しでも口に出来るよう出したところアレルギーではないのに子供は体調を崩しました。
慣れれば食べられるものとどうしても無理なものがあるのです。
苦手な味に挑戦出来たら褒めるべきで、食べないからと叱っても食べられるようにはなりません。
お弁当に入れるなら少量、幼稚園の先生とも連携して褒めてもらう作戦をまず立てることです。
叱るべきは食べ物を粗末にあつかったことと、庭に埋めて隠蔽したことです。
このエピソードで何についてみさえが怒ってるのか主さんの文章でしか知らないのでわかりませんが、嘘をついたこと、それを隠したことを怒っているなら多少やりすぎですがみさえの気持ちは理解します。
偏食について怒っているならやりすぎというより無駄だと感じます。 -
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多分この話は偏食ではなくしんちゃんが苦手なピーマンを捨てた事について怒ってる話だと思います。自分の好みではなかったから親が作ったものを捨てる、食べ物を粗末にするしんちゃんへの、みさえなりの教育なんだと思います。これが風間くんだったら話せばわかると思うけど、しんちゃんに対話ですんなり通じたでしょうか?その家庭によって教育の仕方が変わるのは当たり前だと思います。 -
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主さんの文を読んだだけでの意見です
この話は、偏食、好き嫌いの話ではないと感じました。「食べたくないからと言って、人に用意してもらった食べ物を捨てた」のが本質ではないですか?
そしてその行為は5歳とは言え一線を超えた行為だと思いますし、それをされたみさえの悲しみと怒りを考えると、妥当な教育のように思います
あと題名の「新しいママを作ったぞ」がに気になります。「オラの嫌いなピーマンを弁当に入れるママなんていらない〜」みたいな前置きがあったとしたら、みさえの言動は私の中で更に正当化されちゃいますね。想像なので無関係だったらすみません -
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みさえのやり方だと、しんちゃんは反省・学習ではなく、心に深い傷を負う・大人の顔色を伺うようになる…のではと思いました。
作ってくれたものを庭に捨てるなんてありえないけど、だからと言ってしんちゃんを無視してひまわりを可愛がったり悪口を言うのは、「良い子じゃないと親に嫌われる」って受け取る可能性もあります。
無意識に親の顔色を伺って、親にとって都合のいい良い子を演じるようになってしまう。
親が自分から離れてしまうという不安が先にくるというか、みさえに無視されたからといってピーマンを捨てたことを反省する…に直接結びつかないというか。
無視って簡単に出来るのに想像以上につらいことなので。
夕飯を作らないのは、事の発端が食事なのでまぁ筋は通っていると思います。
「またお庭に捨てられるかもって思ったら悲しくてご飯作れなかった。ママと同じでピーマンを作ってくれた農家さんもきっと悲しい気持ちだよ」みたいな。その後ちゃんと作ってるし。
みさえが謝ると「ママも悪いことしたんだ」ってしんちゃんが受け取ることになるので、自分の罪を許された感じになるので、みさえは謝らなかったのかも。(そこまで考えてるかわからないけど)
現実だったらそもそも無視がありえないですが、「ママもちょっと言い方きつかったよね。ごめんね。また楽しくご飯食べようね」みたいなフォローは欲しいですね。
げんこつがOKな時代の作品なら、ちょっとまぁいきすぎちゃったのかなって感じはしますが、時代だったのかなって感じです。 -
この話は原作エピソードですが、私はこの話は嫌いで、5歳の子に対してみさえの教育はあまりにも厳しいのではないかと思います。私自身偏食持ちなので、偏食は親子の縁を切られたり、夕食抜きにされるほど悪い事なのか疑問があります。
時代もありますが、公平な意見を聞かせてください(アンチは厳禁です)。