AセクAロマったー
無性愛者故に思う事を書き込める場所です。原則として【アセクシャル・アロマンティック・その両方】のいずれかに該当する当事者のみが書き込めます。
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例えば男らしさは「sei的な物に興味があることが健全」とされてたり、男らしさという言葉が持つ「何かを力で支配する=強さ」の面はsei行為の持つ支配の面と調和しやすいところがある
女らしさ、という言葉は「男の言うことには黙って従え、そして尽くせ」という感覚が根底にあり、これが時代の流れでちょっとだけ変わって「愛した男を支え、その相手及び子に尽くすことが女にとっては一番大切(まあでも根本的にはあまり変化はない)」で、これは支配を受け入れる側の構造になってる
なので、男性からのsei行為を受け入れることを女らしさの一部として社会から強要されがちになってるのが今の社会なんじゃないかな
人々が個人であることより、性別がもたらす社会的な役割を演じるよう、全員がずーっと強要されてる感じ
私から見りゃリスクばかりの行為に興味津々の方が異常だよ
4つある短編集の1つであり表題作なんだけど、主人公は恋愛を楽しめないし自分のsei欲が無理だなと思ってる(Aロマとは書かれてない)男子大学生の七森で、大好きな友達として同学年の女子大学生の麦戸ちゃんがいる
二人はぬいぐるみとしゃべるサークルに所属してて、日常の自分が辛いと感じたことをぬいぐるみに話したり、二人で話したりする
その「つらいね」と話す内容が日常においては「人生なんてそんなもん」とか「繊細すぎ」と薄笑いされて一蹴されがちな内容で、でもそういう苦しみや辛さをそんなふうに扱わないからしんどいけど優しい話だなと思った
同じサークルの麦戸ちゃんじゃない女の子と恋人にとりあえずなってみる描写はあるんだけど、恋愛にはならないしsei行為もない
そして七森と麦戸ちゃんとの関係がクィアプラトニックな感じで非常に良かった
好きだとか押せばイケそうと思った瞬間に豹変されるのもはや罠
猿と友達になった覚えはないんだが
一気読みしたいけど、いい意味でキャパがオーバー気味になったのでちょっと休憩
同性の友達Aと異性の友達Bがいたとして、AとBが付き合いだすと高確率でBとは2人で遊べなくなること
本当に恋愛が強固な関係で運命の二人とか言うなら、別にBと遊びに行ったって問題ないわけじゃん 恋愛は強固だからこそ関係が崩れないんでしょ?
でもいわゆる浮気を疑われたり、あるいは虎視眈々と狙ってる感じがして嫌とか言うの、結局恋愛という関係性に不安が生じてるわけじゃん
矛盾じゃん、と思っちゃうし、そういう関係性って本当に不自由だし窮屈だな……と感じる
そして多分そういう束縛を窮屈だし不自由と感じる時点で自分は恋愛は向いてないなあ
それでも恋愛をしたがるというなら、多分そういう束縛が楽しいのか我慢できるかなんだろうけど
「何故その人のことが恋愛的に好きなのですか?」「何故その人とsei行為をしたいと思うのですか?」「あなたはそもそもsei行為が好きですか?それは何故ですか?」「恋愛やsei行為の結果手に入ると期待しているものは、他のことで手に入らないものですか?」って自問自答する機会が必要な気がする
自問自答した結果それでもsei行為や恋愛をしたいんならそれはそれでいい(絶対にこちらに押し付けられたくはないけど)し、「あれ別にsei行為や恋愛じゃなくても、欲しいものは別のやり方で手に入れられるな?」と気付いたらそれはそれでいいと思うんだよね
望んでない恋愛やsei行為なんてしないに越したことないんだから
で、「ゲイもいい」てのは「『自分以外の女=敵』が入ってこない世界」というのと異性愛女性がたまに持ってる願望「女を恋愛対象として見ない男は女を恋愛目線でジャッジしないので私のことをチヤホヤしてくれるはず」が合わさって自分に都合のいい感じがするから言ってるだけなんだろうなと話を聞きながら思った
でまあ結局、同性愛者に理解あるみたいなことを急に言い出したこの親戚女性も、仮に私に自分は無性愛者ですって打ち明けられたとしたら、普通に男性と結婚して子供を産んだ自分を否定されたような気になって偏見と悪意ぶつけてくるんだろうなという結論
必ずしも1対1じゃなくて複数人でもいいもんな