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  • スレ主(h5g25y)6月12日
    恋愛至上主義の問題点としては「恋愛が至上最高の愛で人類は皆恋愛すべき」が本当に大きいけど、そういうところ以外にも問題はあると思う
    例えば恋人もしくは恋愛的に見てる対象にすごい依存的で、相手が望むことなら本当に人生が破綻するレベルで何でもやってしまうケースがあるとして(借金してでも貢ぐとか)
    そもそも人間が何か一つの物にすごく依存してしまう時というのは「依存してないとやってられないレベルの何か」を抱えていることが多い
    経済的な困窮だったり、家庭環境が悪かったり、あるいは日常的にいじめられていたり、それこそセイ的指向や他の社会的なマイノリティ性を抱えていて鬱屈としていたり
    生きているのが辛い時というのは海で溺れているようなもので、そんな時に何とか掴まれる場所を見つけるとそこにしがみついてしまう 
    それ以外にしがみつける場所がないと、全力でしがみついたまま離れられなくなる つまりその場所に依存してしまう
    離れたら自分はまた溺れると思ってしまうから
  • スレ主(h5g25y)6月12日
    返信先: @自分 なので何に依存しているかより、どういう理由があって依存しているかを考えた方が良いんだよね
    度を超えて依存してしまう根本的な問題は、依存対象とは直接関係ないところにあったりするから
    でもこういう問題に恋愛が絡むと問題の本質が見えなくなりがちな気がしている
    そもそも恋愛は依存や独占の感情を含むので、「恋愛対象として見ているから依存している」みたいな見方をされやすい 
    「何かしらに依存しないとやってられないレベルの困難を抱えており、依存や独占の比率が高い恋愛感情が、それに拍車をかけている」ではなくて
  • スレ主(h5g25y)6月12日
    返信先: @自分 恋愛至上主義社会の現代では、よく困難を抱えて助けを求める人に対して「恋人を作ればいい」「結婚すりゃいい」みたいなことを言う人も多いけど、こういう言動や恋愛感情の依存との親和性もあいまって「恋愛感情を抱いた相手への依存」は一種の賞賛を浴びるようなものになっている
    これは誰かに助けを求めにくく、求めたとしても拒絶されることが多い社会の裏返しでもあるんじゃないか
    もし根本的な困難に関する助けを求めた時に、何かしらの複数の手助けがあれば困難の解決につながって、依存をしなくてもよくなるかもしれないのに
    最近ずっとそんなことを考えている