• frJAjZ9月26日
    マジョリティが誰かを傷つけるのではなく、この世のありとあらゆるものはそれがマジョリティであろうとマイノリティであろうと誰かを傷つけるものではあるよな。それそのものがマジョリティであるかマイノリティであるかだけに注目してると「マジョリティは必ず誰かを傷つける」になる。言葉遊びといえばそれはそうかもしれないけど、自分の持っている「それ」がマジョリティだから誰かを傷つけているのか、「それ」そのものが目の前の誰かを傷つけているのかに自覚的じゃないとただマジョリティ・マイノリティなだけの人をぶった切る事になるちょっと危うい考え方だなと見てて思った
返信の受付は終了いたしました。
  • スレ主(frJAjZ)9月26日
    でも傷つける勇気のないものは誰かを救う事もできないと思っているので脚本家やプロデューサーがやりたい事はいい事だと思う。それと作品の細部が自分に合うかは別。自分は好きな部分もあったし苦手な部分も嫌いな部分もあった。それは作品内のことだけじゃなくて作品に関連するもの全てに対してだけど。創作をするものは師匠や先生から初めに当たり前のように叩き込まれる事だと思うけど、
    「自分の作品は必ず誰かを傷つける」っていうのは忘れないようにしなきゃだよね。傷つく方が悪いが行き過ぎると批判も反論も受け付けませーんになっちゃうから
  • BVQ8iY9月27日
    すごい、自分がぼんやり思ってたことをこんなに明確に言語化してくれてありがたい…。そうなんだよね。マジョリティやマイノリティに関係なく、人は必ず人を傷つける。それは他者同士が関わるから当然のことで、だから配慮や時にぶつかり合いが必要で…。
    マジョリティに潜む無自覚な傲慢や差別感情は確かに気をつけるべきだけど「マジョリティだから」傷つけるわけではない。人と人は常に尊重し合わなければならないということを伝えるには少し歪みの大きいメッセージだと思った。
  • スレ主(frJAjZ)9月27日
    返信先: @BVQ8iYさん 花江ちゃんやはるさんと寅子がまさにその対立構造だったよね。でも双方尊重しあって最後お互いに「素晴らしい人生だった」ってところに着地できてるからそういうメッセージ自体はちゃんとあるんだけど、別のところで各方面よろしくない意味で殴りつけたままになってしまっているのが悲しいところだね…