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  • スレ主(7Bvow9)10月21日
    自分にそのことがあったのは小学生、しかも記憶あやふやだしそれが被害だって言える確信がない。これまでで自分より遥かにひどい被害に遭った方とも出会ってきて、そういうのを聞くと「自分のケースって本当に大したことないんじゃ」って誰に言われたでもないのに思ってしまう
    もちろん人様のことにはそんなこと思わない。何というか、上にも書いた通り自分に対してだけ矮小化してしまう。辛いことを考えたくないからなのかもしれないけど、それが自己防衛になんかなってないことも自覚してる
    色んなことが上手くいかなくて何も出来なくて、そんな中で思い出してしまうことが苦しい。忘れられたらいいのに
  • スレ主(7Bvow9)10月21日
    小中は異性から、高校では同性から嫌だなって思うことをされたんだけどそれを「これは被害だ」って自分で言えないのが我ながら情けない
    今日初めて家族に打ち明けてみたんだけどずっと苦しくて泣くのを止められなかった。スッキリなんて出来なかった
    本当に些細なことだろうとも思って、でもそうすると自分の嫌だったって思いが不当なもののように感じられて
    そんなことないって言ってくれる人がいるのになんでこうなんだろう
  • 5iCU/h10月22日
    返信先: @7Bvow9さん とてもつらい思いをされましたね……7Bvow9さんは情けなくありません、それはごく自然な反応です。
    実は子供と大人で被害に遭った時の反応は違うと言われています。
    どう違うかというと、子供は被害に遭った時自分が何をされたのかわからないので混乱するのと、大人ほど言語化ができないため、自分自身ではあれが被害だったかどうか認識できない場合があります(このあたりは、日本は他人を尊重する意味でのセイ教育が無きに等しい現状もあるかと思います)。
    加えて、被害にあった時に解離という症状を起こすことがあります。これは脳が心を守るために、被害の記憶をはっきり思い出せなくなったり、あるいは消してしまうような症状です。このため、子どもの頃の被害は被害を被害と認識できなかったり、被害を思い出そうとしてもはっきりとしていなかったり、辻褄が合わない場合もあります。そうなると自分で自分の被害があったのか不安になる場合もあります。→
  • 5iCU/h10月22日
    返信先: @自分 → 更に社会では未だに被害者を責める風潮があり、特に特定の被害以外は大したことがないとされる様を(実際に自分が言われたことがなくても)文字で読んだり、あるいは見聞きすると、心はその影響を受けてしまうものです。そういうところで「こんなことを被害と言っても理解されないかも」や「これくらいで大騒ぎしてると思われたら……」と躊躇してしまう方は実際多いです。性被害でなくても、体がボロボロで助けて欲しくて手を伸ばした時、その手を取るどころか大勢から踏みつけられている場面を見ていたらどうでしょうか。きっと即座に助けを求められる人は少ないのではないかと思います。
    ただ仰る通り、脳の防衛機構が必ず心の防衛機構になりうるかというとそうではないんですよね。どちらかと言うと生命を維持するために機能するものだから、つらい記憶がなかったことになるわけではない。結果体が生き残っても心が被害にあう前の元戻りになるわけではないし→
  • 5iCU/h10月22日
    返信先: @自分 →他人に話して完全にスッキリして終わりにもならない。性被害の残酷さの一つだと思います。
    性被害がもたらすのは(それがどんな種類のものだろうと)セイ的な範囲のことだけではなく、心身を物扱いする尊厳の否定であり、人生の破壊です。だからこそ泣くのを止められなかったのも、くるしかったのも、自分の尊厳を否定された記憶をあらためて話すのは本当に、自分の人生を否定された記憶を再演するようなものですから、無理もないと思います。
    もう一度書きますが、7Bvow9さんは悪くありません。世間的には「些細」とされてきたことは、加害者から見ての「些細」です。ご自身の嫌だったと思う感情を、どうか信じてください。それは7Bvow9さんに意思がある証拠であり、加害者がセイ暴力という形で物のように扱ったのだとしても、決して消すことのできなかった、ご自身の尊厳です。不当な物ではありません。
    どうか可能ならゆっくりお休みになられてくださいね。