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→ 更に社会では未だに被害者を責める風潮があり、特に特定の被害以外は大したことがないとされる様を(実際に自分が言われたことがなくても)文字で読んだり、あるいは見聞きすると、心はその影響を受けてしまうものです。そういうところで「こんなことを被害と言っても理解されないかも」や「これくらいで大騒ぎしてると思われたら……」と躊躇してしまう方は実際多いです。性被害でなくても、体がボロボロで助けて欲しくて手を伸ばした時、その手を取るどころか大勢から踏みつけられている場面を見ていたらどうでしょうか。きっと即座に助けを求められる人は少ないのではないかと思います。
ただ仰る通り、脳の防衛機構が必ず心の防衛機構になりうるかというとそうではないんですよね。どちらかと言うと生命を維持するために機能するものだから、つらい記憶がなかったことになるわけではない。結果体が生き残っても心が被害にあう前の元戻りになるわけではないし→ -
実は子供と大人で被害に遭った時の反応は違うと言われています。
どう違うかというと、子供は被害に遭った時自分が何をされたのかわからないので混乱するのと、大人ほど言語化ができないため、自分自身ではあれが被害だったかどうか認識できない場合があります(このあたりは、日本は他人を尊重する意味でのセイ教育が無きに等しい現状もあるかと思います)。
加えて、被害にあった時に解離という症状を起こすことがあります。これは脳が心を守るために、被害の記憶をはっきり思い出せなくなったり、あるいは消してしまうような症状です。このため、子どもの頃の被害は被害を被害と認識できなかったり、被害を思い出そうとしてもはっきりとしていなかったり、辻褄が合わない場合もあります。そうなると自分で自分の被害があったのか不安になる場合もあります。→