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コーヒートークというゲームがあってさ
簡単に言えばエルフとかオークとか吸血鬼とか、そういうファンタジー上の存在が人間と同じようにそれぞれ職を持って現代社会で暮らしている、でも種族ごとの悩みを抱えながら生きている世界観なんだけど
そのコーヒートークの世界ではオペラ歌手はセイレーンが殆どを占めていてバンシーはなれないんだよ、何故ならバンシーの声は他人に害をもたらすという迷信があって他人から差別されているから
作中にはオペラ歌手になりたいバンシーのキャラクターがいて、そういう偏見もあってなかなかオーディションに受からない時に他の種族から言われるんだよね「歌声は本当に素晴らしい、でもそれで受からないならあなたの持つストーリーを活かせばいい」「マイノリティなバンシーがマジョリティなソプラノ歌手を目指すのはそれだけでも強いストーリーだから」みたいなことを
で言われたバンシー側は「あなたの話は全然私に向けられている気がしない」と当然怒るんだよね -
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作中では言った側も反省して後で和解する展開になるんだけど
そのシーンだけでも考えてしまった、sei的指向でも、マイノリティは世間から異端として扱われる一方で、マジョリティな世界を補強するのに使われやすいよなって
例えば恋愛に関する作品は「普通の女の子がクラス一かっこいい男の子と付き合う」みたいな話より「恋愛に興味が全くなかった女の子が、クラス一かっこいい男の子と付き合う」方がドラマが生まれるような感じで扱われやすく「やっぱり恋愛がわからない人なんていない、運命の人に出会ったら恋に落ちるんだ!」と恋愛至上主義の強化に使われる感というか
このマイノリティな属性は追加されればされるほど、ドラマが成立する時に恋愛至上主義が補強される気もするんだよね -
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「いわゆる容姿があまり良くない」描写があると「本当はこんな自分は嫌(大体容姿が悪いことから目を逸らしていて恋愛に興味ないふりしてた系の独白が入ったり)」+「好きな人に振り向いてもらえるように頑張る」=努力して恋愛してハッピーエンドにされがちで、現実にもそれは波及している
いわゆる容姿があまり良くなくて恋愛したくない=本当は恋愛したいくせに努力をしない、に当人の意思関係なくレッテル貼られがちというか
で「(現行しているありとあらゆる問題には目を瞑って)恋愛はやはり素晴らしい」に使われがちだったり……何だかなあと思ってしまうし、その都度バンシーのキャラの「あなたの話は私に向けて話された気がしなかった」がすごく頭を横切るんだよねえ
まあただ現実には確かにそういう「努力して夢を掴んだ」話によって救われる人もいるのは事実だとは思う、でもそれが世界の全てだとは思わないでほしいなとつくづく思う -
※容姿にまつわる話があります