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エノーラの問題ではなく作品全体の問題はまだある
図書館の本を全て読んだとされるエノーラが教養や振る舞いを身につけていないのも不自然さが残る。エノーラの性格上受け入れられないものだからだろうか。まさか淑女としての振る舞い、マナーすらも「抑圧」として描くのか
「食器を使ってご飯を食べる」ことを「抑圧だ。私は手掴みで食べる」とする解放者がいるだろうか
山高帽の刺客が爆発する爆薬倉庫から無傷で生還したり、最後の決戦シーンでベテランの刺客である悪役は何度も銃を外したが真の仕掛け人は違わずテュークスベリーの胸元に命中させたり、お粗末と言えるところはいくらでもある -
以上がエノーラの問題行動
総じて短絡的で衝動的で傲慢。「強さ」とは「思慮のなさ」ではない。
これらが違和感なく写る人もいるかもしれないが、非常に羨ましい話だ
母親は「あなたがこんな世界で生きていくなんて耐えられなかったから」と語る。この発言も異常だ。歴史の一部を「こんな世界」として槍玉にあげて悪辣に語るのは本当に最悪。現代的価値観をもって断ずるのは誰もがやることだが、当時を生きた設定の登場人物に言わせるのは脚本家や監督の低俗なプロパガンダとしか言えない
エノーラの「好きに生きなきゃ。未来は私たち次第!」という最後のセリフも悪くはないがありきたりでメッセージ性に欠ける。ありきたりでも構わないのは演出である。効果的に働くからこそ鉄板として浸透する。だが、メッセージとしては手垢がついたものにしか映らず、「またそれか」にしかならない
それ、ホームズ・パスティーシュでやらなきゃいけないメッセージですか?