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母親のメッセージも結局フェミニズム的プロパガンダでしかない。「もう誰も」と述べているにもかかわらず、「男性」という言葉を強調するのはボロが出ているところだ
その上主にエノーラによって「役立ずな男の子」「非力で傲慢」などと、不必要な修飾が男性キャラクターを表現している
「『男に』参政権を!選挙権を!」と叫ぶロンドン市民にもそれが現れている
その一方、出てくる「強い」女性は男性に挑戦的。よく口がまわり相手を言い負かすシーンが多い(単に呆れられてるだけにしか見えないが)
一方で時代に順応している女性、つまり男性側でありフェミニズム的ではない女性は悪しく描かれ、エノーラに痛い目に合わされる役割で視聴者の溜飲を下げるための装置。女校長がいい例 -
図書館の本を全て読んだとされるエノーラが教養や振る舞いを身につけていないのも不自然さが残る。エノーラの性格上受け入れられないものだからだろうか。まさか淑女としての振る舞い、マナーすらも「抑圧」として描くのか
「食器を使ってご飯を食べる」ことを「抑圧だ。私は手掴みで食べる」とする解放者がいるだろうか
山高帽の刺客が爆発する爆薬倉庫から無傷で生還したり、最後の決戦シーンでベテランの刺客である悪役は何度も銃を外したが真の仕掛け人は違わずテュークスベリーの胸元に命中させたり、お粗末と言えるところはいくらでもある