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2までで出ているので期待して見始めた
まずは1から。
シャーロック・ホームズに妹がいた設定で、16の彼女が失踪した母親を探すという話
が、現代フェミニズム的な「強い女性像」にかぶれた少女が動くので嫌悪感が強かった
これらが周囲への犠牲を伴いながら描かれるので違和感が酷い
エノーラの問題行動をまとめた。非常に多い
ロンドンに行ったエノーラが、怪訝な顔をするドレス屋の女主人にドヤ顔で「お金ならあるわ」と言い女主人がコロッと態度が変わるという胸がすく展開だが、母親の遺した金だし元を辿れば男の兄2人の金
コルセットを身につけて「コルセットは抑圧の象徴。ま、私は別人のように成り済ますために今から身につけるけど(セリフ原文ママ」という。女性としての矜恃を持ちながら身につけていた女性もいるはずだが透明化し、抑圧の象徴と一面的なものの見方をしている。16歳の少女の考えだから仕方ないとするのか -
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テュークスベリーに礼を強要する傲慢っぷり。列車内で傍若無人な振る舞いをしたエノーラのフォローをしたのは彼。エノーラはなにもなし。そのフォローに対して礼を要求はしなかった。二人の性格の差が浮き彫りになって醜悪で、このエノーラのどこに好感を持てというのか
更に柔道の黒人女師範に出会った際に、その場にいないテュークスベリーを「役立ずの男の子(これも原文ママ」と言ったのは輪をかけて酷い。食糧を見つけて料理したのは彼だ
体格差によって刺客に技が通じなかったのでからくも火薬を利用して逃げた癖に、テュークスベリー子爵を「非力で愚かで傲慢だが崖っぷちにいる。私なら守れる」とこれまた強い女性として動く。どこから湧いてくるんだその自信
未亡人を装ってテュークスベリー家と面会した際には「シャーロック・ホームズの助手です」と【これまで権威的男性として描いていた身内の男性の】狐の威を借る。その発言に対してデタラメだというレストレードには挑戦を叩きつける軽挙妄動 -
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これまで強い女性(というのは名ばかりの無鉄砲)で動いてきたにもかかわらず、「私はお前の後見人だ言うことを聞け」とマイクロフトに怒鳴られてメソメソと泣く。正論を言われて急に等身大の少女になるなよ
山高帽の男との決戦では「貴方はここに隠れていて!」と意気揚々と掴みかかるが当然気絶。テュークスベリーに救われ、彼を危機に晒す。守るんじゃなかったの? 大ピンチの時に母の言葉を思い出し奮起し、以前は通じなかった技が通り、からくも倒すことができる。ご都合主義もいい具合だが、これはまぁいろんな作品にあるのでなんとか飲み込めるが
その後現れた真の仕掛け人によりテュークスベリーは撃たれるが、エノーラ相手には弾切れ
物語の最後には【あのシャーロック・ホームズをも出し抜いて先に解決した妹!】という噴飯ものの扱い。ホームズ・パスティーシュとしても落第物の最低な結末
これ、いわゆるメアリー・スーキャラクターと何が違うんですか?何がどう面白いの? -
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なんじゃこれ
以上がエノーラの問題行動
総じて短絡的で衝動的で傲慢。「強さ」とは「思慮のなさ」ではない。
これらが違和感なく写る人もいるかもしれないが、非常に羨ましい話だ
母親は「あなたがこんな世界で生きていくなんて耐えられなかったから」と語る。この発言も異常だ。歴史の一部を「こんな世界」として槍玉にあげて悪辣に語るのは本当に最悪。現代的価値観をもって断ずるのは誰もがやることだが、当時を生きた設定の登場人物に言わせるのは脚本家や監督の低俗なプロパガンダとしか言えない
エノーラの「好きに生きなきゃ。未来は私たち次第!」という最後のセリフも悪くはないがありきたりでメッセージ性に欠ける。ありきたりでも構わないのは演出である。効果的に働くからこそ鉄板として浸透する。だが、メッセージとしては手垢がついたものにしか映らず、「またそれか」にしかならない
それ、ホームズ・パスティーシュでやらなきゃいけないメッセージですか? -
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エノーラの問題ではなく作品全体の問題はまだある
図書館の本を全て読んだとされるエノーラが教養や振る舞いを身につけていないのも不自然さが残る。エノーラの性格上受け入れられないものだからだろうか。まさか淑女としての振る舞い、マナーすらも「抑圧」として描くのか
「食器を使ってご飯を食べる」ことを「抑圧だ。私は手掴みで食べる」とする解放者がいるだろうか
山高帽の刺客が爆発する爆薬倉庫から無傷で生還したり、最後の決戦シーンでベテランの刺客である悪役は何度も銃を外したが真の仕掛け人は違わずテュークスベリーの胸元に命中させたり、お粗末と言えるところはいくらでもある -
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母親のメッセージも結局フェミニズム的プロパガンダでしかない。「もう誰も」と述べているにもかかわらず、「男性」という言葉を強調するのはボロが出ているところだ
その上主にエノーラによって「役立ずな男の子」「非力で傲慢」などと、不必要な修飾が男性キャラクターを表現している
「『男に』参政権を!選挙権を!」と叫ぶロンドン市民にもそれが現れている
その一方、出てくる「強い」女性は男性に挑戦的。よく口がまわり相手を言い負かすシーンが多い(単に呆れられてるだけにしか見えないが)
一方で時代に順応している女性、つまり男性側でありフェミニズム的ではない女性は悪しく描かれ、エノーラに痛い目に合わされる役割で視聴者の溜飲を下げるための装置。女校長がいい例 -
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さらにはあれだけ探し求めた母親がエノーラの手ではなく自ら姿を現すのはエノーラの主人公性すらも貶めていて、絶句したシーンだ。作中の事件に絡めて最後のどんでん返しとして主人公の主目的に繋がるようにした作品はいくらでもあるが、これはそうではない。それだけでミステリーとして三流だ
全てが【女性が気持ちよくなるための装置】として動いており非常に歪で気持ちの悪い出来
エノーラの無鉄砲さ、向こう見ずさも、年若い少女だからと納得することが出来るが、前述の通りとにかくストーリーラインのための全てが気持ち悪いデザインになっている
そのあたりを飲み込み、「ああ、これこそ私の求めていたものだな」と思う人だけが楽しめるのでしょう。男主権の体制が気に入らない人、あらゆる細部が気にならない人
ミステリーとしてのつくりも正直お粗末。そこがいちばん期待して見始めたのにという怒りが一番強い。ミステリーさえまともならエノーラの気持ち悪さも飲み込めるものなのに -
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評価点としてはヴィクトリア期のイングランドの世界を描写できていること。被覆や馬車はもちろんの事、蒸気自動車が動くところはおおっとなった
エノーラの感情の機微が描けていたこと。ガールミーツボーイであり、エノーラからテュークスベリーへの感情の変化。鉄板ですがこういうのはいいところ
それとエノーラの「5ポンド払うから服を交換して!」は「おっ、これから何かが起こるんだな」というワクワクのトリガーになっているのが良かった
母親と再会できた後のハグで「もう少しこうしていたい」「私もよ」。ありきたりだけど、だからこそ染みる。会えていなかった親子の再会だ。感触を確かめたいのが心というものだろう
また、第四の壁を超えて度々エノーラが我々に語り掛ける。これは特徴的。だからこそ最後にエノーラが視聴者に呼びかけるところが効果的になる。が、問題はそのメッセージの内容で。前述の通り
そして、主演の演技は三流映画にしては良かった -
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結局のところホームズ・パスティーシュでもミステリーでもなんでもない、
ただのミサンドリスト向けポノレノ映画でしかないということだよ -
エノーラホームズの事件簿という劣悪な映画について